『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』行間に立ち上る、人々の暮らしの息遣い

2021年2月24日 印刷向け表示
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サラ金の歴史-消費者金融と日本社会 (中公新書 2634)

作者:小島 庸平
出版社:中央公論新社
発売日:2021-02-20
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大好きな2時間ドラマの再放送を見ていると、必ずと言っていいほど「過払い金の返還請求をおすすめするCM」が流れる。一時は消費者金融の過払い金返還請求を進めるものが多かったが、最近はクレジットカードでも過払い金がある可能性があるらしく、「もしかしたらあなたにも」とひっきりなしに流れてくる。ラジオも同じだ。半日も聞いていれば一度はその類を聞くことになる。よほど需要があるのだろう。このコロナ禍で人々が経済的なダメージを多かれ少なかれ受けている。もしわずかでも戻ってくるのならと思うのもむりもない。今年に入ってから、法律事務所に相談する人が格段に増えたらしいとも聞く。

そんな中、この1年むしろ強調されてきたのが「自助」と「自己責任」である。このあといつまで続くかもわからないコロナ禍下で、多くの先進国は程度の差こそあれまずは「公助」を強化しようとしているが、この国は必ずしもそうではないようだ。むしろ自助と共助を促し、それでもダメなら最後の最後が公助であると政府は言い、人々もあまり不満を言わない。お上に頼るのは恥ずかしいことだという自助・自己責任の精神は根強い。

ではこの国において、生活が苦しくなっても公助を期待しない・できない人々は、何を頼るのか。それは「金を借りる」のである。(現在政府が打ち出している救済策も「金を貸してやる」というものが多い)。公助に頼らず、金を借りて苦境をしのぐのである

しかしよく考えたら不思議である。生活が困窮したという理由で金を借りる人は、当然ながら返済能力が弱い。担保もない。なのになぜ日本の“サラ金”は貧困層にも金を貸して、なお利益をあげたのか。

本書のまえがきではバングラディシュのグラミン銀行の話を取り上げている。金を借りたくても誰も貸してくれないような貧困層の人々に金を貸し、所得を増やし貧困から脱出する機会を提供することを「金融包摂」というが、この方法を実行実現したのがグラミン銀行だ。

同銀行は5人のグループに対してまとめて金を貸し、返済を連帯責任にすることで貸金の回収を実現する。それにより担保を持たない人々が、借りた金で人生をやり直す機会を得られるようになったのだ。

この方式を編み出した創設者のムハマド・ユヌスは、貧困削減への貢献を理由に、2006年にノーベル平和賞を受賞している。貧困者に無担保で少額の資金を貸し付けること(これをマイクロ・クレジットと呼ぶ)は、成功すればノーベル賞が与えられるほど、困難な事業だったのである

なぜ純粋な営利企業であるはずのサラ金が、貧困層を金融的に包摂するに至ったのか。サラ金がセイフティネットを代替するという「奇妙な事態」が生まれた歴史的な背景を、本書では考えてみたい

サラ金といえばとんでもない高金利、容赦ない取り立て、返済能力を超えた野放図な貸付などなど、大いに世論を怒らせたものだが、「なぜそんなに“貸せる”のか」とは考えてもみなかった。グラミン銀行の金利は年20%だそうだ。なかなかの高金利だ。それでもあちらはノーベル賞、こちらは非難轟々。その違いはどこにあるのだろう。

本書は、高度経済成長とともに隆盛を極め、やがて衰退していく歴史を100年遡り、戦前の個人間金融が活発だった頃から紐解く。セイフティネットが格段に乏しかった戦前期の日本では、個人間で金の貸し借りをしてしのぐことが多かったが、その多くは親しい間柄であってもしっかりと金利を取っていたのだという。人の「絆」という名の「しがらみ」が担保であるとでもいおうか。そうした時代に金融技術を鍛えたものたちが、やがてサラ金を操業していくのである。

そうした「サラ金のゆりかご」としての個人間金融の時代から始まって、戦後の復興期、高度経済成長期の旺盛な消費欲を背景にした個人の資金需要に大いに応える時代。資金調達を外資に求めつつも、同時にその外資と顧客を取りあう国際競争時代。低成長時代に入り、審査基準を緩和せざるをえず、貸し込みはじめる時代。多重債務が大問題となり行政の介入、貸金規正法制定など、一転冬の時代へなどなど・・・。

筆致は淡々と、かつ丹念に文献を照覧しまとめ上げているのだが、不思議と行間に「時代ごとの人々の暮らしの息遣い」のようなものが色濃く立ち上る。

家計をやりくりするために夫に内緒で借りる妻。会社で出世するため金を借りてでも飲み代やゴルフ代を捻出しようとする夫。

本書の特徴に、家計における借金の場面におけるジェンダーギャップにも目を向けているところがある。戦前の民法では妻は夫の許可なく借金をすることはできなかった。戦後それが改められると同時に、「家計を夫に任された良妻」として「夫に隠して借金する妻」が現れることになる。それは一見「借金する自由」の形をまとっている。しかしそれは家計の大元を夫が押さえている中での、かりそめの自由だ。借りた金は密かに内職などをして返済する。なにしろ「家計を任されているのだから」。金を借りたのはやりくりに失敗した自分の自己責任なのだ・・・。このあたりの描写は、母がやりくりに苦労しながら日がな一日内職に励んでいた頃を思い出してしまった。

そして、現在は。改正貸金業法によって、収入のない専業主婦(主夫)がサラ金から借りる際は再び「配偶者の同意」が必要になった。収入のない主婦が「家計を任されているという自負と責任感」で金を借り、返せなくなって夫婦関係の破綻にまで至るという不幸を避けるためには有効なのだろう。専業主婦というあり方ももはや主流ではない時代でもある。が・・・。

心ある法律家や政治家、声をあげた債務者たち、そして世論の後押しもあって、今では暴力的な取り立ては法律上できないし、金利もかつてよりずっと抑えられている。状況はよくなったように見える。しかしこの国が、この国の人々が、「日々の暮らしは自助、自己責任。たとえどんなときでも」という“ドグマ”にとらわれている限り、なんらかの形で「セイフティネット」としての小口金融の存在意義は強い。

法律によりさまざまな規制が実現したが、いまだ先が見えないコロナ禍のもとでは、何が起こっているのだろう。

2019年3月には、インターネットを介した個人間の私的な貸し借りが、違法な金融取引だけでなく売買春の温床にもなっていると報道された。個人間金融を装い、女性に金を貸す見返りに肉体関係を求める「ひととき金融」が横行しているのだという

こうした個人間金融の形を変えて「復活」は、決して奇異なことではない。出資法の上限金利は、長い時間をかけて20%まで引き下げられた。しかし、業者以外の上限金利は、現在も109.5%のままで変更はない。つまり個人間の貸し借りであれば、上限金利はサラ金が生まれた頃と全く変わっていないのである。

LINEを利用して「ひととき金融」を受けた女性は、性行為中の動画撮影を条件に金を借り、「返済を怠れば、動画を流出させる」と脅されたと語っている

改正貸金業法によってヤミ金被害は著しく減少し、破産や自殺も減少に転じた。その一方で、インターネットやSNSという新たな情報技術に支えられて、規制の埒外にある高利の個人間金融が、形を変えながら「復活」しつつある。

ただひたすら平穏に日常を送りたいと願いながら、それが叶わぬ時、この国の人々は公助を求めるよりまず自助=金を借りて、生き延びようとしてきた。昔からずっと。そのために生まれた不幸を、心ある人々が、改善しようと努力を積み重ね、様々に法整備がされてきた。が、令和の時代に皮肉な回帰があるのかもしれない、と思わされる。これから先、われわれが見るのは「未来なのか過去なのか」。

「民の竃に興味のない為政者」と、「お上の世話になるのは恥という善良なる民の矜持」の組み合わせは、危機の時、悲劇を深くする。本書によってさまざまな知見を得つつ、湧き上がるのは、「今はまだ見えていない悲劇を、どれ程早く、気付き得るのか」という思いである。

明らかに経済的に斜陽のこの国では、個人の努力で乗り越えられることは少なくなっていくだろう。まだ若い著者は、この先もそれを見続けていくはずだ。若い人々へ、ぜひそれを伝えて欲しい。

今年の新書、No1、と2月にいうのも気が早いかもしれませんが。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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