明治維新とはこんなヤンチャだったのか!
本書は従来型の明治維新史観をくつがえしてくれる。明治維新というと、日本が独自に近代化をはたした成功体験として語られるのが一般的だ。志や行動力で時代を切り開いていく若者たち、との司馬遼太郎史観ストーリーで描かれることが多い。著者はこれを「日本人を元気にする歴史観」といい、高度成長期の日本人に響いた歴史観だったと評する。
一方、現実はどうだったのか。血と汗だけで革命を起こせるのだろうか。改めて当時を振り返ると、カネにまつわるストーリーが見え隠れしてくる。そのなかでも驚くのは、薩摩藩による「贋金作り」。江戸幕府のヒエラルキーでは外様扱いだった薩摩藩は、列島最南端で大犯罪をしていた。贋金を、作って作って作りまくっていたのだ!
この天下の大犯罪は歴史を動かし、薩長連合の成立、戊辰戦争勝利、明治維新へと導いていく。もちろん教科書では語られない歴史だ。「カネは戦争の筋肉である」とは古代ローマの著述家キケロの言葉だが、大久保利道や西郷隆盛も同じことを認識していたのかもしれない。
薩摩藩の計画は虎視眈々としていた。まず幕府から鋳造許可をえている。琉球に流通させるための地域通貨の発行という名目を使って。きっと琉球用の通貨発行は口実で、本当は当時流通していた天保通宝の偽金鋳造こそが真の目的だったのだろう。同時期に江戸銭座の職人などを呼び寄せ、贋金の鋳造体制を整えた。
歴代の藩主である島津斉彬と島津久光みずからがこれら手筈を整えたというから藩をあげての犯罪である。しかも贋金鋳造体制が軌道にのると、その取り仕切りを薩摩藩中心人物であった大久保利通任せていたというから、なんとも面の皮の厚い「犯罪」集団だ。
(*当時価値観と現在価値観は違うのであえて「 」を加えている)
幕末、薩摩藩はほんとに金持ちだった。せっせと洋式の兵器と船舶を買い集めている。蒸気船は15隻、射程距離の長く高価なエンフィールド銃は4300挺、すべて一括購入で海外から輸入だ。財政難で借金まみれの江戸幕府や他藩を圧倒する資金力である。琉球との貿易以外に薩摩藩にはたいした産業もなかったので、もちろんカネの源泉は贋金だ。
いくら贋金をつくっても取引に使えないと意味はない。当時の貿易相手である英米が贋金での取引には応じてくれるはずもない。そこで薩摩藩を助けたのが、三井家だった。薩摩藩がつくった贋金を、三井家が小切手に代えていたという。現代で言うところのマネーロンダリング。これまた重大「犯罪」である。明治維新とは、薩摩藩という武装集団による贋金作りと、三井家という商人によるマネーロンダリングによってつき動かされていたのだ。
ちなみに三井家は、この件で薩摩藩に恩義をうり、大政奉還後には新政府と結びついて大財閥を形成していった。したたかな商人魂である。
本書はこれら贋金つくりに始まり、明治維新を主導した薩摩藩がなぜここまでも「犯罪集団」になっていったのか、その国柄を解き明かしていく。男尊女卑の気風や宗教弾圧など、おおよそ旧態依然とする幕府に立ち向かう革命家とは別の顔がみえてくる。
血と汗だけでは革命はおこせない。志があってもそれを支える軍資金がないと始まらないのは古今東西どこでも同じである。そして、薩摩藩の場合は、「ビジネス」によって銭を集めたのではなく、「犯罪」によって近代化・武装強化を果たしていった歴史だったのだ。
もしかしたら今もどこかで、同様に時機を待っている辺境の獅子たちが潜んでいるかもしれない。