「◯◯の天皇」という形容がある。
最近あまり目にしなくなったが、かつては週刊誌などでよく見かけた表現だ。ただしこの言葉を冠するには、相手もそれなりの人物でなければならない。たとえば「◯◯」に適当な企業や団体の名前でも入れてみれば、天皇になぞらえるには、あまりに小粒な人物しかいないことがよくわかるだろう。
出版界にはかつてこの呼称がぴたりと当てはまる人物がいた。
「新潮社の天皇」、齋藤十一である。
齋藤は伝説の編集者だ。その業績でもっとも有名なのは雑誌ジャーナリズムへの貢献だろう。1956年(昭和31年)に『週刊新潮』を創刊し、出版社系週刊誌の先駆けとなった。取材コメントの間を、ファクトではなく疑惑を匂わせる文章で埋めていく週刊誌の真骨頂ともいえる記事スタイルは、週刊新潮が確立したものだ。齋藤は実に40年以上もの間、編集部に君臨し、毎週金曜日に行われる編集会議は「御前会議」と呼ばれていた。
週刊新潮だけではない。『芸術新潮』も『FOCUS』も『新潮45』も齋藤が創刊した。しかも、これらの雑誌を、編集長として率いたわけではないというのだから驚く。終戦後間もなく31歳で『新潮』の編集長に抜擢され、20年以上編集長を務めたが、意外なことに編集長の肩書きはそれが最初で最後だった。齋藤にとって、編集長の肩書きなどほとんど意味のないものだったのかもしれない。彼の仕事は、とてもひとつの雑誌におさまるものではなかったからだ。
なぜこれほどの権力を持つことができたのか、多くの人が疑問に思うのではないだろうか。これが権力の座にただ居座りたいだけの人物であったなら、いずれその地位を追われていたに違いない。だが齋藤には、優秀な編集者たちが束になっても敵わない実力があった。文学はもちろんのこと、音楽、絵画、ジャーナリズムにいたるまで、あらゆることに通じた目利きだった。
坂口安吾や太宰治を発掘し、山崎豊子や松本清張のような大物に遠慮なくダメ出しをした。山崎は齋藤と面会するたびに緊張しながら「私は、山崎豊子と申します」と初対面のように挨拶していたという。新作を読んだ齋藤から送られてくる「貴作拝見、没」とだけ記された葉書に、作家たちは打ちのめされた。井伏鱒二が「姪の結婚」と題してスタートした連載を、途中で『黒い雨』という絶妙なタイトルに変えさせたり、芸人のビートたけしに「文化人」としての才能を見出したり、その凄まじい目利きぶりを示すエピソードは枚挙にいとまがない。著者は、齋藤が関わった媒体すべての雑誌編集部員にとって、想定する読者は齋藤ただ一人だったと書いているが、本書を読んでいると、それも大げさな表現ではないと思える。
そんな齋藤を高く買っていたのが、あの小林秀雄である。
小林は日頃寡黙で、あまりの沈黙に耐えられずに出入りできなくなった編集者も多かった。その小林が、訪ねてきた齋藤にひと言だけこんなアドバイスをした。
「トルストイを読め」。
それ以上余計な雑談をせず、小林邸を後にした齋藤は、それから必死にトルストイを読み込んだ。小林は他の編集者にも同じアドバイスをしたが、本当に実行したのは齋藤だけだったという。
小林は齋藤のことを「微妙ということがよくわかっている」と評した。小林の言う「微妙」とは、人間社会の現実をありのままにとらえることであったようだ。現実の背後に潜む「人間の業」を嗅ぎとる嗅覚を、齋藤はトルストイから学んだのかもしれない。
著者の取材は実にきめ細かく(著者自身がかつて週刊新潮の敏腕記者だった)、関係者の貴重な証言やエピソードによって、この稀代の天才編集者の肖像を描きだすことに成功している。齋藤に近かった関係者はほとんどが高齢で、中には著者がインタビューした後に亡くなった方もいる。まさにギリギリのタイミングでの取材だったことがわかる。
齋藤と前妻の「息子」が音楽家であることや、齋藤が筆者だとまことしやかに噂された週刊新潮のコラムニスト「ヤン・デンマン」の正体など、本書で初めて知った事実も多い。中でも思わず身を乗り出してしまったのは、齋藤の貴重な肉声を再現した箇所である。御前会議の模様をこっそり録音していた者がいたのだ。編集者の役割について語る齋藤の言葉は一読の価値がある。
「21世紀なんて見たくもない」と常々語っていた齋藤は、晩年珍しくいくつかのインタビューに応じた。そして2000年12月23日に放映されたテレビのインタビューを見ながら、「老醜だな、もう死ぬべきだ」とつぶやくと、その翌朝、いつものようにお茶を飲んだ後に意識を失い、21世紀を見ることなく4日後に亡くなった。86歳だった。
それにしても、なんと巨大な人物だろう。
本書に描かれているのは、紛れもなく齋藤にしかできなかった仕事ばかりだ。しかも、そのどれもが今も語り継がれるような大きな仕事ときている。
齋藤十一は、圧倒的な個性を持った傑物として、出版史上に屹立している。
これは古い小説を読んでいる時などに感じることだが、昔は「人間」の存在が今よりもうんと大きかったような気がする。たとえばディケンズやバルザックのような19世紀の大作家たちが生み出した傑作を思い浮かべてみてほしい。そこには、理不尽な運命と格闘する人間たちの姿がある。個人は社会に対置されている。それに比べると、現代では人間の存在感は随分小さくなってしまった。人間に代わって主役となったのは、「システム」や「データ」である。
この時代に、出版界の巨人の評伝を読むことにどんな意味があるだろうか。
齋藤は大変な教養人でありながら、自らを「俗物」と称した。謙遜や韜晦ではなく、「小説家だ、ジャーナリストだ、編集者だ、などと気どっていても、しょせんは愚か者のバカである。大衆の一人にすぎないことを自覚し、その視点でものを書かなければならない」という信念に拠っていたからだ。
だから、右とか左とかの既存の物差しに頼ることなく、現実をありのままにとらえ、物事の本質を掴み取ろうとした。錦の御旗のように掲げられる民主主義や民衆の意見を疑い、誰もが信じる常識や社会通念に意義を唱えたかと思えば、その一方で、天皇の戦争責任を訴え、皇室を利用してきた右派勢力に食ってかかった。そこにあるのは、常に「個」として現実と対峙する齋藤の姿である。
齋藤亡き後、ジャーナリズムをはじめとする言論界の空洞化が進んでいるのは、はたして偶然だろうか。現実と向き合う私たちのひとりひとりの「個」の力は、弱くなっているのではないか。
齋藤十一という出版史に巨大な足跡を刻んだ一個人の生涯を、過ぎ去りし古き良き時代の話として読むか、それとも私たちが生きる今と地続きの物語として読むか、あなたはどちらだろうか。