近田春夫を知っている人は、すでに読んだにちがいない。知らない人は、いますぐ読んでほしい。音楽で生きる、東京で生きる、その2つを味わえる。日本のロック、パンク、ヒップホップ、さらにはJ-POPやCM音楽まで網羅した音楽史であり、東京でクールに生きてきた大人の足跡を体感できるだろう。
タイトル「調子悪くてあたりまえ」は、ビブラストーンの名曲からとられている。ご存知ない方は、動画サイトで確かめよう。そのあとで、曲名の意味、そして、ビブラストーンというバンドについて、ぜひ本書を開いてもらいたい。
著者は、1951年2月25日、世田谷に生まれる。NHKに勤めたあとTBSに移る父親と、音楽教師の母親を持つ。IQ、知能指数169をたたきだした天才児だったので、慶應幼稚舎に入る。
「僕は春夫君とやっていく自信がないんです・・・」と担任教師が嘆くほどの多動症で、人を笑わせるのが好きだった。にぎやかな場所にいたい。それが著者の願いであり、「とにかく舞台の袖からショーを観ることが好きなの」と振りかえる片鱗は、小学生のときにつくられていた。
天才だったはずなのに、中学(慶應普通部)、高校(慶應義塾高校)と進学するごとに成績は悪くなり、高校2年で落第する。どうにか慶應大学まで進んだものの(このときの「奇跡」は、いかにも慶應らしい)、ほどなく中退する。創刊されたばかりの雑誌「anan」編集部で働いたり、内田裕也とバンドを組んだりしていたから、当たり前だろう。
そこから、いまに至るまで半世紀の音楽活動がはじまる。
「ちょっと早すぎたかな」と、著者はデビュー当時の音楽活動をまとめる。この思いは、50年つづく先見の明を裏づける。近田春夫は、いつも早い。世の中が、あたらしい音楽に気づくまえに、先どりしてきた。
じっさい、1977年9月に発表した『ハルヲフォン・レコード』は、同時代アメリカのロックを意識している。難しい楽曲を、軽く弾く。そのすごさは、日本では理解されず、売り上げには恵まれない。
近田春夫とともに、作詞家としての楳図かずお(漫画家)やYMOといった多くの才能が、東京の音楽を奏でていた。ザ・ぼんちの大ヒット曲「恋のぼんちシート」をめぐるパクリ騒動は、ビートたけしがきっかけだった。田原俊彦や柏原芳恵の曲も手がけた。
そんな、70年代後半から80年代前半にかけての芸能界を、読者は追体験するだろう。
「ぎんざNOW!」や「オールナイトニッポン」への出演を通してタレントとして知られるようになった著者は、役者としてもドラマに出演する。ここでの有名プロデューサーをめぐる騒動もまた、昔日のテレビ業界を思い出させて面白い。
大衆性にあふれた著者は、膨大なCM音楽をつくる。森永製菓「チョコボール」と日本コカ・コーラ「爽健美茶」は、みなさんも必ず一度は聞いている。日清「スパ王」のサウンドロゴ、TOTO「ウォシュレット」にサッポロビール「黒ラベル」といった、CMはいかにつくられるのか。その舞台裏を知るだけでも、本書は一読に値する。
こうしたつながりは、東京で生きているからこそ、だった。
そして評者にとって近田春夫は、日本語ラップの先駆者であり、J-POP批評の確立者である。
「DJっていうのは盆踊りにおける音頭取りなのよ」
「日本語はさ、英語とは構造が違って述語が後に来るから、脚韻を揃えることに大した意味はない。そもそも日本の詩歌の伝統は頭韻だしさ」
彼の日本語論は、およそ四半世紀におよぶ週刊誌連載に通じる。「週刊文春」の連載「考えるヒット」は1996年にはじまり、その2年後、CD売上高がピークを記録する。マーケティングではなく、直感によって音楽そのものを語った。
その動機と仕掛けが、本書で明かされる。日本における音楽とは、なにか。音楽を書くとは、どういうことなのか。なぜ、Kポップが世界を制したのか。こうした秘密を知るために、ほかの部分は飛ばしても、ここだけは絶対に読んでほしい。
書名は、闘病から得た著者の人生訓にもなっている。インタビューをもとにしているからだけではない。音楽で生きてきて、そして、東京で生きている著者だからこそ、重々しくならず、つぎの結論に達している。
人間、生きていることそのものが身体に悪いわけ。まさに、「調子悪くてあたりまえ」なんだよ。統計は例外の集合体って言うぐらいだから、つくづく、細かいことは気にしないでいきることが肝腎なんだと思うね。
ほかにも、川久保玲や芥川賞作家の父親といった、華麗なる人々との交流も、戦後日本のエスタブリッシュメントを描いていて、楽しい。「本当に俺は貧乏だなあ」と思いながら深刻なコンプレックスを抱かなかった。著者を見習いたい。
さらに、モノとしても本書は優れすぎている。秋元康やクリス・ペプラー、リリー・フランキーをはじめ各界の著名人による著者の肖像画や、筒美京平をめぐるボーナス・トラック、詳細な索引にいたるまで豪華なつくりなので、手元に置くしかない。
インタビュー・構成を担った下井草秀に感謝しよう。
そして、下井草にならい、評者もまた、本稿を川勝正幸に捧げる。
川勝正幸の傑作は、いくつもあれど、今回は、これを紹介するしかない。
さらに、
近田春夫より2歳年上なのに、彼よりも「ちょっと早すぎた」すごいミュージシャンがいた。本書と並べて読むと、より立体的に戦後日本音楽史をつかめる。