『死を生きた人びと─訪問診療医と355人の患者』(みすず書房)、2年ほど前に本屋さんで購入した。著者の名前、小堀鷗一郎を見ると、わたしと同じく、ひょっとしたらと思われるかもしれない。ご明察、森鷗外の次女、小堀杏奴のご子息である。
食道がんを専門とする外科医であったが、定年後は在宅患者の訪問診療にたずさわっておられる。そして、サブタイトルにあるように355人の患者を看取り、考えられた内容の綴られた本がこれだ。天性のものなのだろうか、さすが文章が素晴らしい。
NHKスペシャル「大往生~わが家で迎える最期」が放送されたのをごらんになられた方もおられるだろう。その「老老診療」は優しいだけでなく、時には厳しい。あぁこういう診療をなさるのかとすこし驚いた。
その小堀先生とコピーライターの糸井重里さんの対談をまとめたのが『いつか来る死』(マガジンハウス社)である。写真ページも含めて150ページ足らずの薄い本だけれど、とても内容が濃くていろいろと考えさせられる一冊になっている。
70歳を超えた糸井さんが、死について語り合ってみてもいいと思って始められた対談。「死は『普遍的』という言葉が介入する余地のない世界である」という『死を生きた人びと』に出てくる言葉についての語らいから始められる。本を読み進めるにつれ、この言葉の重みがわかってくる。
とてもソフトなタッチの対談風景のカラー写真がたくさん載っている、その撮影者は幡野広志さん。2017年、35歳の時に多発性骨髄腫と診断され、余命3年と宣告されたカメラマンである。2歳になる息子に向けて書かれた『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)は、どれだけうなずきながら読んだことだろう。
「死は別世界の出来事」、「最後まで酒を飲む、その人らしい死に方を目指す」、「家族の最期には立ち会うべき。それって本当?」、「死について考えるのは、生きるについて考えること」、「死は『俺がいない』、ただそれだけのこと」など、刺激的なセクションタイトルを眺めているだけで十分勉強になる。
とりわけ重要なメッセージは、「『縁起でもない』をやめよう」、「どんな死を望むのか、普段から考えておく」、「死を健康に考える、死と手をつなぐ」だろう。まずは死を考え、語り合うこと。それが何より大事なのだ。
日本医事新報2011年1月16日号『なかのとおるのええ加減でいきまっせ』から転載
小堀鷗一郎先生、訪問診療の記録です。
この本の写真を撮影した幡野広志氏、不治の病に冒され、息子に伝えたいこと。