『LIFESPAN 老いなき世界』

2020年12月10日 印刷向け表示
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LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界

作者:デビッド・A・シンクレア ,マシュー・D・ラプラント
出版社:東洋経済新報社
発売日:2020-09-16
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最近は横文字そのままのタイトルの翻訳書が随分増えてきた。LIFESPAN(ライフスパン) とは生物の寿命や生存期間のことで、転じて製品の有効期限や耐用期間に使われることもある。そして本書『LIFESPAN 老いなき世界』では、加齢研究の第一人者であるハーバード大学の遺伝学教授が「人の老化は決して避けられぬものではない」と論陣を張る。

巷では昨今「人生100年時代」と言うが、多くの人はそこまで長生きできるかどうか自信がない。ところが著者は専門の「老化の情報理論」によって老化メカニズムを解明し、最先端の科学的知見から「120歳まで健康に生きられる方法」を開示する。「病のない老い、老いなき世界」は「すぐそこまで来ている」かもしれない現実を知り、今年度で京大定年を迎える評者にも光が見えてきた。

本書は三部構成で、第1部「私たちは何を知っているのか(過去)」、第2部「私たちは何を学びつつあるのか(現在)」、第3部「私たちはどこへ行くのか(未来)」からなる。これはゴーギャンの名画タイトル(ボストン美術館所蔵)と同じ作りで、人類の過去・現在・未来にわたる身体を通じて「老いなき世界」を導いてゆく。(拙著『地球の歴史』中公新書も同じ三部構造で書いた)

今や老化は治療可能な病であり、生命の「サバイバル回路」を働かせよと著者は説く。体の遺伝情報を司るDNAが損傷したときに修復する仕組みだが、老化を防ぐポイントがここにある。
ちなみに、具体的な方策を解説する力量は、著者が非常に優れた医学者であることを如実に示している。というのは、中身が本当によく分かっている専門家ほど、誰もが理解できるように説明できるからだ。

こうした意欲的な著作だが、著者が実践している健康法は極めてシンプルだ。「『食事のカロリーを減らせ』『小さいことにくよくよするな』『運動せよ』以外に、医学的なアドバイスをするつもりはない。私は研究者であって医者ではないからだ」(本書474ページ)と記す。

逆に、事実のみに立脚する研究者だからこそ、その言説には説得力がある。「砂糖、パン、パスタの摂取量をできるだけ少なくする。(中略)1日のどれか1食を抜くか、少なくともごく少量に抑えるようにする。スケジュールが詰まっているおかげで、たいてい昼食を食べ損なっている」(本書475ページ)。昼食を抜く理由は評者と同じだった。

著者の思想は、現代哲学の主要テーマである身体論にも通じる斬新なものだ。地球科学を専門とする評者は、野口晴哉(1911〜1976)の身体論を導入して「身体論的地球科学」を進めているが、著者のアプローチも自然科学としての医学に身体論を埋め込んで「老いなき世界」を実現しようとする。これこそ新しい学問分野を切り拓く発想ではないかと評者は大いに期待している。

本書は世界20ヵ国で刊行されベストセラーとなったが、もちろん人には寿命があり誰もが120歳を実現できるわけではない。しかし、ウィズコロナ及びポストコロナの不透明な時代を明るく生き抜く際、打ってつけの良心的科学書であることは間違いない。

ここで本書から敷衍(ふえん)して、先の地球科学者の見た身体論について語ってみたい。というのは本書のメインテーマ「老いなき世界」の本質と深く関わっているからだ。現在、野口晴哉の身体論は公益社団法人整体協会に継承されているが、ここでは自分の身体は徹底的に自ら管理することに主眼を置く。その際、人間をミクロに細分化してだけ見るのではなく、マクロに捉える視点は、本書の著者と極めて近い。

たとえば病気をしたとき、「仕事のために早く治す、何々をするために急いで下痢を止めるというようなことばかりやっていると、体の自然のバランスがだんだん失われてくる」(野口晴哉『風邪の効用』ちくま文庫、40ページ)と説く。

すなわち、「一気呵成(かせい)に病気を治そうと考えるその考えが、体の調子を乱す。強行すればそのための行為が体を乱す。痛みを早く止めても、体にとっては警報機を故障させた結果にならぬとも限りません。痛みを止めたら、他がもっと悪くなったということがあっても不思議ではない」(『風邪の効用』150~151ページ)。

病気を治すというミクロな行為自体が、体全体のマクロな調子を崩す場合があるというのだ。まさに「角を矯(た)めて牛を殺す」ことに他ならない。よって、「人間が健康であるということは、自分自身の力によって健康であることだけがよいのであって、守ったり、庇(かば)ったり、支え棒を立てたりして、やっと無事に突立っている山田の案山子(かかし)のようなものと一緒に考えるわけにはいかない」(『風邪の効用』95ページ)と喝破する。だから流行(はや)りのサプリメントを多量に摂取して健康維持を図ったのでは、体が本来持つ力を弱めてしまうことにもなる。

本書の著者も力説するように、現代人はあまりにも安易に自分以外のものに頼りすぎる傾向がある。人類は何十万年もかけて身につけてきた能力を、過度の投薬や栄養剤の摂取によって鈍らせてはならないのだ。そうすれば働き過ぎによる過労死も防げるのではないかと評者も考える。

実は、何を隠そう、評者自身も三〇歳代の終わりまではドリンク剤やサプリメントを常用し、自分を騙(だま)しながら論文を生産する日々を過ごしていた。それが野口の著作に出逢って激変したのである(拙著『座右の古典』ちくま文庫、198ページ)。

さて、本書の著者は「私が実践していること」を、こう簡潔に語る(本書474ページ)。
・あなたのすべきことが、これと同じとは限らない
・私がそうしているのが正しいのかどうかすら、私にはわからない。
・毎日できるだけ歩くことを心掛け、上の階に行く際には階段を使うようにしている。
・タバコは吸わない。電子レンジにかけたプラスチックや、過度な紫外線や、レントゲンやCTスキャンを避けるようにしている。

至極もっともなことばかりで拍子抜けするかもしれないが、こうした点こそ専門家にきちんと書いてほしいコメントである。長寿と加齢研究の世界的権威が書いた本書と野口晴哉の『風邪の効用』を併読しながら、「老いなき世界」を楽しみながら追究していただきたいと思う。
 

風邪の効用 (ちくま文庫)

作者:野口 晴哉
出版社:筑摩書房
発売日:2003-02-01
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座右の古典 (ちくま文庫)

作者:浩毅, 鎌田
出版社:筑摩書房
発売日:2018-09-11
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決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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