こんな経験はないだろうか。
ガヤガヤと混み合う居酒屋で「すいませーん」と店員に声をかける。
だが、まったく気づいてもらえない。
手をピンと伸ばして、もう一度叫んでみても結果は同じ。
「すいませーん!す、すいませーん……。す……すい……」
声をあげるたびに腕が下がっていき、最後は曖昧な語尾とともに萎んでしまう……。
世間には「声が通らない」ことに悩む人たちがいる。
たしかに特定の人に向けて発せられた言葉が、受け止められることなくそのあたりに漂ったままになっている様子を思い浮かべると、ちょっといたたまれない気分になる。無視されているわけではないとわかっていても、存在に気がついてもらえないのは、ある意味、無視されるよりも悲しいかもしれない。
本書は「声が通らない」ことにコンプレックスを抱く著者が、「通る声」を目指してあれこれ奮闘するルポルタージュである。ラジオの仕事にたずさわる者としては「待ってました!」と腕まくりしたくなるテーマだ。
さて、まず基本的なことから押さえておこう。(←すでに前のめり)
あなたは自分の声がどんな声か、知っているだろうか?
「自分の声ぐらい知っているよ」と思った人、残念ながらそれは間違い。
私たちが普段聴いている自分の声は、自分の外に発せられた音(気導音)と、自分の内部に響いて聞こえる音(骨導音)がミックスされたものなのだ。録音された声が「自分の声と違う」と感じることがよくあるが、あれはマイクが気導音だけを拾っているために違和感があるのである。他人に聴こえているあなたの声も「録音された声」のほうだと思ってもらっていい。鏡に映さないと外見がわからないように、自分の声も録音してみないとわからない。
ちなみに、スマホで通話中に聞こえる相手の声は、本物の声ではないというのはご存知だろうか。現在主流になっているデータ伝送方式はCELP方式というのだが、おおざっぱに説明すると、相手の声をデータに変換し、あらかじめデータベースに登録されている43億ものパターンと照合する。その中から元の声ともっとも近いものが瞬時に選ばれ、音声として合成されているのだ。
そもそも「通る声」というのはどんな声なのだろう。
ラジオ業界ではよく「マイク乗りがいい声」なんて言い方をする。専門的に言えば低中高音域がバランスよく出ている声ということになるが、もっと感覚的に表現すると「声に芯がある」という感じ。実際、声に芯がある人のしゃべりは、ことさら大きな声を出していなくても、しっかりと相手に届く。
とはいえ、「通る声」は、こうした声質だけで構成されるものでもない。そこには滑舌も関わってくるし、声の出し方(腹式呼吸ですね)も関係してくる。さらに「しゃべる」という行為にまで話を広げれば、「話し方」だって重要になってくる。声をめぐる話題は実に奥が深い。
本書はその点、アナウンサーやラジオ局のミキサー、ボイストレーナーや音響のプロなどに話を聞き、声に関する基本をしっかり押さえた上で、大学の応援部やアイドルの追っかけ、大相撲の呼び出しやアメ横の売り子など、多種多様な声を持つ人にもアプローチし、あらゆる角度から「通る声」の秘密に迫っている。読み物としてもとても面白い。
オペラの世界に「そば鳴り」という言葉があるのを本書で初めて知った。近くに行くと大きな声に聞こえるのに、客席では聞こえづらい。そんな時に「その声じゃ、そば鳴りだよ」などと言うのだそうだ。著者が話を聞いた女性オペラ歌手によれば、小さくても「一点集中で針を刺すような声のほうが通る」とのこと。「あの店員さんを呼びたい」と狙いを定め、「小さくていいから吹き矢のようにピュッと」声を飛ばせば、まず振り向いてもらえるという。声が吹き矢!なんだか山田風太郎の忍法帖シリーズにでも出てきそうな技だ。
「声が通らない」悩みを抱える人のために、ぼくからもひとつ、とっておきの技を提案しておこう。もし今後、賑やかな店内で店員を呼びたいなんて場面に遭遇したら(現在のコロナの感染状況では当分ないかもしれないが……)、ぜひ次の言葉を試してほしい。
「ずびばぜーん!」
「すみません」ではなく「ずびばぜん」。
濁音は声帯の振動を伴い、口の中が大きく広がる。
また濁音そのものにも「大きくて力強い」イメージがある(音象徴という)。
濁音のほうがより相手に届きやすいのだ。
なので、注文の際はぜひ「ずびばぜーん!」と連呼してみてほしい。
ただしその瞬間、店内の喧騒がピタリとやんで、あなたが注目の的になってしまっても、当方は責任を負いかねます。そのシチュエーションをラッキーと思うか、恥ずかしいと思うかは、あなた次第である。
これまで仕事をご一緒した中で、「話し方」の技術がすごいと思ったのは、みのもんた氏である。彼はトークが山場に差し掛かったところで、わざと声をひそめたりする。まるで秘密を打ち明けるかのように。聴く側は自然と身を乗り出すように耳を傾けることになる。まさに緩急自在の名人芸。
声のトーンや強弱、スピードや間、声を発する時の感情などに少しでも意識を向けるだけで、あなたはさらに魅力的になれる。人はなぜ外見と同じように、自分の「声」や「体」「感情」「言葉」に気を遣わないのかと問いかける本書は、隠れた名著だ。就職活動にのぞむ学生などは、この本を熟読すれば無双になれると思うんだけどな。
声や言葉に関する楽しい話題が詰まったこちらの本もおすすめ。
「あ」と「い」はどちらが大きいか、わかりますか?