読売新聞の読書委員を務めるようになってから、これまで以上にたくさんの本が送られてくるようになった。読みたかった本が送られてきたらすごく嬉しい。『炎間の唄』もお送りいただいた本だ。読みたかったし面白そう、だけれど読みきらないだろうと思った。
小田島隆(@tako_ashi)さんの過去10年間のツイートから、武田砂鉄さんが選んで一年ごとに簡単な解説がつけてある。小田嶋さんのツイートはずっとフォローしているし、武田さんのシャープな論調も大好きだ。しかし、Twitterというのは、その時点で読むからこそ面白いのであって、300ページ以上にもわたって過去の細切れの内容を読み通すのは骨が折れそうだ。というのが、読まないだろうと思った理由である。
小田嶋さん、それからついでに武田さん、スミマセン。わたしがバカでした。読み始めたら、むちゃくちゃに面白うございました。Twitterをそのままなので、なにについて書いてあるかが説明されている訳ではない。だって、その時点では書かなくともわかるような事柄なんだから当然だろう。しかし、それぞれのツイートを読むと、逆にその頃の出来事が思い浮かんで、あぁ、そんなことがあったあった感が半端ではなくなっていく。
日付順に並べられているだけだが、武田さんのチョイスが素晴らしいので、流れもスムーズだ。ああすごかったと感心しながら、巻末にある武田さんによる小田嶋さんのインタビューへ。そこで書かれている内容には心底驚いた。小田嶋ファンにとっては、おそらくツイートそのものよりもこのインタビューの方が面白い。いや、ファンでなくとも、ひょっとしたらTwitterで小田嶋さんのことを嫌っている人にとってさえそうに違いない。
かねがね小田嶋さんのツイートがどうしてあんなに面白いのかが不思議だった。ひょっとしたら天才コラムニストは次々とツイートが頭に浮かぶのかと思っていた。しかし、決してそうでなないという真実が本人の口から明かされる。たとえば「自分の中で最も労力をかけてる」にもかかわらず「世間は比較的冷淡」な駄洒落である。
駄洒落を考える時に、まず言葉を手書きで書き出して、それを50音の表を見ながら、入れ替え可能な言葉を探していく。「サラダ」だったら、「からだ」だとか、一文字ずつあてていくんですよ。縦方向横方向、同義語だとか、縁語にあたる言葉を探す。――中略―― これ、案外2時間ぐらいやってたりするんですよ。
ホンマですか…。詩聖・谷川俊太郎さんみたいやないですか。そして、コラムを凝縮したようなものがTwitterかというと、そうではないらしい。
今は、Twitterをいくつか並べたものがコラムだって風に、制作過程が変わってしまった。いろんな事を140文字で言い切る頭の構造が自分の中に回路として出来上がった感覚があるんです。
ホンマですか… アゲイン。それやったら、コラムニストではなくて、ツイッタリストとかツイッタラーやないですか。もちろん、炎上を望んでおられるとしか思えないクソリプとの付き合い方の話もおもろいけれど割愛。で、肝心のTwitterの内容について少しだけ紹介をば。まず、座布団三枚は間違いないやつ。
安倍と無知の政治。
イソジン・ゼアズ・ノー・ヘブン
小田嶋さんの真骨頂は、駄洒落よりも、高い論理性に裏付けられた少し回りくどい言葉遣いだろう。ぼんやり読むと意味が取りにくいかもしれないが、よく読むとじんわりと効いてくる。
「圧力」が現実に存在することは、「圧力なんか無いよ」という圧力が生じていることからも容易に想像がつく。
「プロの矜持」みたいなフレーズは恥ずかしくて使えないな。プロの矜持として。
それからアホをとことん嫌い、罵倒する。
誰にでもわかるように書くくらいならはじめから書かない。
まわりくどい言い方でないと伝わらないことを理解しない人間は、たぶん端的に言われたこともろくに理解していない。
礼儀正しく罵倒する方法を日夜研究しています。
前回は『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』をレビューしてるし、仲野はウンコ好きだからと言われそうだが、いちばん気に入ったのはこれだ。
どんなに強く踏んでも、ダメージを受けるのは靴の方だというのがうんこの強み。
いろいろなシチュエーションを「靴」と「うんこ」に当てはめて考えると、極めて含蓄に富んだ言葉だとは思われまいか。そして、安倍晋三のことが大嫌い。
特定の個人を「バカ」という言葉で論評することは、本来、やってはいけないことだ。私も、相手が並のバカならここまでは言わない。私があえてバカと言うのは、安倍さんが並外れたバカで、しかも内閣総理大臣という容易ならざる立場を占めているからだ。最後にもう一度言っておく。バカ。
たしかに、ちょっと礼儀正しい罵倒みたいな気がしないでもない。駄洒落に戻る。南スーダン国連平和維持活動派遣部隊の日報が隠蔽について。
日報を、取り戻す。
もちろん安倍晋三のキャッチフレーズ『日本を、取り戻す。』を皮肉ったものである。そして、もう一冊の本のタイトル『日本語を、取り戻す。』もそうだ。
こちらは『この国の政権担当者たちが日本語を破壊していった経過を詳細に跡づける、他に類例のない記録』である。安倍総理の口から漏れ出す日本語があまりに空疎であることを痛烈に批判し、『誠実にものを考えようとする人々にとって、無意味な言葉ほど有害なものはない』と喝破する。
この10年の間、特に意識して書いた訳ではないけれど、そういった内容のコラムだけで本が一冊できたことに小田嶋さん自身が驚きを隠さない。そして、その願いはいたってシンプルである。
政治家の言葉は、巧でなくても、誠実であれば十分に伝わるはずのものだ。
せめて、正直に、まっすぐに語りかけてほしい。
菅義偉にもこのまま贈りたい。
ここに紹介した二冊、何十年か後に、日本が大きく崩れ始めた頃の記録として読まれるようになるのか、あるいは、よくこんなところから這い上がって来られたという記録になるのか。いずれにせよ、平成から令和へ移りゆく時代の貴重な証言になるに違いない。