レーニン、トロツキー、ピカソ、マネ、ヘミングウェイ、サルトル、藤田嗣治、ボーヴォワール、後に天才と呼ばれる彼らが、まだ何者でもないころ、通いつめ議論した場所がある。パリのカフェ、モンパルナス界隈のドゥ・マゴやロトンド、モンマルトル界隈のラパン・アジルやラ・ヌーベル・アテヌなどである。
常連となった天才以前の彼らは、自分の仕事スペースを確保するために朝一番でカフェに向かったようだ。
カフェという場は他の公共的な施設と異なり、合目的性がほとんど追求されない不思議な空間である。本屋は本を探すために、レストランは食事をするために、劇場は観劇をするために行く。しかし、カフェはカフェに行くためにカフェに行くのだ。コーヒーの味はさほど重要ではない。カフェのメニューには書かれていないが、その空間に内在する何かを得るために行く。そして、特別なカフェに重要だった要素は自由だ。
どんな自由かといえば、1.居続けられる自由、2.思想の自由、3.時間的束縛からの自由、4.振る舞いの自由、の4つである。安い値段で長居ができて、誰かに考えを拘束されることもなく、いつでも空いていて、自分らしく振る舞える、この時点で最高の空間である。さらに、当時の有力な場であったサロンと比較することで、カフェの魅力がより際立ってくる。
まず、主人との距離感が違う。サロンの主催者はボランタリーであり、カフェのオーナーは商売人である。だから、サロンの主人は特権的な立場になり、参加者は主人との距離の点で平等である。いっぽう、カフェは飲食代を払うというシステムが自然と平等性をつくる。主人が関心を持つのはシンプルにまた明日も来てくれるかどうかである。客はわずかなコーヒー代を払うことで、客という身分の保証され、自由になれる。
サロンのオーナーは場を作る人と好奇心旺盛なプレイヤー、この一人二役のジレンマに直面する。素晴らしい場をつくる人は決してプレイヤーにはなれないという、消し去り難いねじれがサロンには生じてしまう。
いっぽう、カフェの主人は商売人である。主人にとっては、客の社会的身分ではなく、また明日も来てくれるかどうかが重要である。したがって、店に多少貢献をしている常連は、一見の客よりも優遇されたり融通がきいたりすることもある。世界中から活躍の場を求めてパリにやってきた母国で「何者か」であった誇り高き者には非常に居心地の良い場所になるのだ。
さらに、サロンではどうしてもボランタリーで場を提供している女主人に気を使ってしまう。だから、議論が白熱したとしても、逸脱はしない。そこそこで終わるのだ。主人の目を気にして自由な発言も深い議論もできないサロンで、思想の自由を求める客たちは次第にカフェへと足を伸ばしていくことになる。カフェは思想の自由があり、本書に登場する思想家や芸術家はそれぞれがカフェを居城にして、思想や文章を編み、芸術を爆発させていった。
カフェの中だけはない。巻末にあるパリの地図を眺めながら、そして改めて本書の装丁の写真を見ると、日本では見たことのないテラスの椅子が歩道に向かって並んでいる。天才になった人も、そうでない人も、歩いている知人を見つけては声をかけ、議論をしていたのだろう。
パリのカフェと天才の関係性も本書の読みどころの一つなのだが、もう一つ面白いのは、そんなパリのカフェを運営していたのは、だれか?という話題である。カフェのオーナーはフランスの特定の地方出身者が多く、さらに日本の寿司職人のような徒弟制度があった。彼らの隠れた気質が、カフェを地道に運営し、花を開かせた天才たちの縁の下の力もちになっていたのだ。
カフェがこんなにも深いなんて思いもしなかった。間違いなく見方が変わるし、無性にカフェが愛おしくなる 。もし、家の近くに本書に出てくるようなカフェが見つかったなら、すぐにでも常連になりたい。
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江戸時代の爛熟期のサロン。木村蒹葭堂 は自邸を知識人の集まるサロンとし、書画や本草学・医学・蘭学の貴重な文物や標本を蒐集した。全ての好奇心をサロンに注いだ人物
クルミド出版のオーナーが著者。国分寺にあるクルミドコーヒーにも一度足を運んでみたい。どんなカフェなんだろう。