地下愛好家という人々がいるらしい。皆が寝静まった真夜中に都市の下水溝や地下鉄のトンネルに忍び込み、日常では味わうことのできない感覚を求める人々だ。
本書の著者、ウィル・ハントもそんな地下愛好家の1人だ。きっかけとなったのは、16歳のとき、近所の廃棄されたトンネルに潜り込んだ際に見た光景だ。トンネルの奥深く、何者かが作ったバケツの祭壇に天井から染み出た水が滴り落ち、バチでドラムを叩(たた)くようにして神秘の音色を奏でていた。以来、彼は世間から隔絶した暗闇の世界に魅せられることになる。
成人した著者はニューヨークを活動の拠点とする。そして夜になると地下鉄のトンネルへと潜り込み、ニューヨークの地下世界を探索しにいく。それは、脳の奥底、本能からくるゾクゾクとした感覚と、都市そのものが1つの有機体のようにうごめいている事実を著者に知らしめた。彼はこの感覚の正体を知るため、世界中の地下世界を訪ね歩く。
パリでは都市冒険家のスティーブ・ダンカンらと地下を横断する冒険に出る。パリは数百年にわたって掘り進められた石切り場の地下道、下水道、納骨堂などが縦横無尽に走り、複雑な地下世界を形成している。パリの地下に魅せられた愛好家たちが、石切り場の各部屋に図書館、アートや彫刻を施した部屋、シャンデリアが設置された部屋などを作っており、そこには独特な世界が広がっていた。地上のみで暮らす多くのパリジャンたちには知りえない世界が存在するのだ。著者たちはここで、地下を徘徊する別の地下愛好家らとも遭遇する。
本書は、世界各国の神話や宗教で地下世界が大きな役割を担っていることにも言及している。地下は死の象徴であるとともに、子宮になぞらえられた再生の象徴でもある。
著者は、ニューヨークの地下に自身の人生を日記として記録し続けるグラフィックアーティスト、REVSの調査にも乗り出す。地下に施された多くのアートは地下鉄の乗客に見えるよう描かれているが、REVSの作品の一部は見えない場所にも描かれていた。なぜ作品は隠されたのか。そのヒントは、ピレネー山脈にある洞窟〈テュク〉に古代マドレーヌ人が残した〈粘土製のバイソン像〉や、古代マヤ人たちが洞窟の奥深くに隠すように残した宗教的な遺物にあった。
次第に狭くなる空間、光の届かない闇の世界。当時の人々にとって、洞窟は死の危険が伴う世界であり、恐怖と畏敬の対象だった。人々は、地下の世界で宗教儀式を行うことで神に触れたのだ。そして、その痕跡を神聖なものとして隠した。
1962年7月、フランスの地質学者がアルプス山脈の洞窟で2カ月間暮らす実験を行った。彼は暗闇で暮らすうちに幻覚を見るようになる。
彼は人間の内にある最も原始的で不可思議なものに触れたのだ。それはまさしく古代人が経験した世界でもある。著者も自身の脳の奥に眠る原始的な部分、自分の中の古代に触れるべく洞窟で24時間過ごすことを決意する。どこかで人は自分の本質を捜し求めている。著者は洞窟の中にそれを見つけようとした。彼が洞窟で何を見たのか。それは、本書に譲ることにしよう。
※週刊東洋経済 2020年11月14日号