鷗外、森林太郎は5人の子をなし、上から順に、於菟(おと)、茉莉(まり)、不律(ふりつ)、杏奴(あんぬ)、類(るい)とそれぞれに欧風の名前をつけた。タイトルの『類』はLouis、鷗外の三男坊をモデルにした小説だ。
於菟は先妻の子であり、不律は夭逝(ようせい)しているので、類は3人姉弟の末っ子のように育てられた。大文豪であり陸軍軍医総監まで登り詰めた鷗外の子として期待されるも、学業は冴えない。叱咤(しった)激励されるが、中学校を中退して絵画を学び始める。
鷗外亡き後も遺産と莫大な印税があったため、生活は優雅なものだった。いっしょに絵画を学んでいた杏奴のお目付け役としてパリ遊学も経験する。
日本からの留学生たちと遊ぶサンジェルマンの森でのピクニックはファンタジーのような情景だ。このシーンだけではない。観潮楼の庭の花畑など、ビジュアルに訴えかけてくる場面があちこちに美しくちりばめられている。
しかし、そんな生活も長くは続かなかった。結婚して喜多方に疎開。戦争の火災で家を失い、新円への切り替えで父の印税も価値が激減。生活の糧を自分の手で稼がざるをえなくなる。
出版社に勤めたり、美術講師をしたり、本屋を開業したりするが、どれも中途半端でうまくいかない。小説やエッセーはそこそこまでいきはするのだが、いまひとつパッとしない。
斎藤茂吉、佐藤春夫など、さまざまな場面で類をサポートしてくれる面々がすごい。なのに十分なチャンスを生かせないのがもどかしすぎる。
鷗外の子、4人ともが家族についての随筆を書いているのだが、類の『鷗外の子供たち』は大問題を引き起こした。半裸での化粧姿のことなどを赤裸々に書かれた茉莉は悲嘆に暮れ、激怒した杏奴は類と絶縁するに至ってしまう。
偉人の子どもとして生きる。普通の人にはイメージすることすら難しい。はたして類自身はどうだったのだろうか。晩年まで黄色いセーターが似合ったという類。読み終わってその立ち姿を思い浮かべてみると、幸福な人生だったにちがいないという気がしてきた。
鷗外はその作品のイメージとは違い、甘すぎるくらいの子煩悩だった。一方、夏目漱石は子どもたちに厳しかった。漱石の次男・伸六は『父・夏目漱石』という随筆集を残している。病気がちで神経症気味だったこともあるだろうが、漱石はずいぶんひどい父親であった。
鷗外、漱石と並ぶ明治の大文豪といえば幸田露伴だ。名文家として知られる次女・文(あや)も『父・こんなこと』を著している。類と伸六は幼かったころに父を亡くしているが、文は離婚後にも露伴と長らく暮らしていたこともあって、その思い出話は抜群に面白い。
鷗外、漱石、露伴とも子孫に文筆家が多い。文才には遺伝性があるのだろうか。研究仲間である幸田家直系の某大学教授は、文才は全くないとご自分でおっしゃるのだが。
日経ビジネス 2020年10月23日号より転載
鷗外の子か漱石の子かのチョイスがあれば、ほとんどの人は鷗外を選ぶでしょう。
娘の文に、はたきのかけ方まで丁寧に教える露伴。訳わからんけど、好きです。