ウンコするならこれを読め!『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか ―人糞地理学ことはじめ』

2020年10月27日 印刷向け表示
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いきなりだが、問題です。さて、あなたは「ウンコ」という言葉を聞いて、どんな言葉をイメージされるだろうか。「汚い」あるいは「臭い」だろうか?「嫌い」という人はいても「好き」という人はおられないかもしれない。しかし、この本を読めば、「好き」とまではいかなくとも、「偉い」、いや、「偉かった」くらいにまでイメージアップするはずだ。

まずは第一章「ウンコとはなにか?」という、人間にとって根源的な問いかけから、この本は始まる。

もしかすると、ウンコに対して「汚い」というイメージを持つのは人間、それも大人だけで、こどもは案外ウンコが好きなのかもしれない。でないと、「うんこドリルシリーズ」が累計で400万部も売れたりはするまい。

しかし、それはイメージとしてのウンコであって、リアルウンコは違うという意見もあるだろう。確かにそうだ。しかし、チンパンジーやウサギ、犬は喜んでウンコを食する。探検家・角幡唯介によると、『極夜行』に連れて行った犬は、自分のウンコは食べないが、角幡のウンコが大好きでハフハフ食べたという。そして、その経験を元に「人間にもウンコをおいしいと思える味覚があれば、世界的な食料問題も解決し、地球平和にもつながるのに、なぜ人間はウンコを食べることができないのだろう。」と深遠な考えに耽る。

この本の作者、人文地理学ならぬ「人糞地理学」の湯澤規子博士になると、さらに哲学的だ。

ウンコは汚物に生まれるのではない、汚物になるのだ

言われたら確かにそうだ。「汚い」と思うから汚いのである。考えてみれば勝手なものだ。自分の体の中にある間は汚いとは思わないのに、体外に出た途端に汚いと蔑む。人間としてあるまじき態度ではないか。

といったところで、ふと、ずいぶんと前に読んだ『透明人間の告白』を思い出した。事故で透明人間になってしまった主人公ニックが、ニューヨークで透明人間として生きていくのはいかに大変かを綴った傑作ミステリーだ。

いまひとつ記憶はさだかでないのだが、確か、ニックが人から見えないということに気を許して野糞をする。そうしたら、周囲が大騒ぎになる。どうしてかわかるだろうか?体の中にはいっていたウンコは透明だったが、体外に出たとたんに可視になる。想像してほしい。いきなり空中にウンコが出現するのだ。大騒ぎになるのは当然だろう。

話が大きくそれた、スマン。ともあれ、湯澤博士はもちろんウンコ推しだ。第二章『世界がウンコに求めているもの』ではSDGsの視点からウンコを論じたかと思うと、第三章は、あろうことか『宝物としてのウンコ』である。

ご想像のとおり、かつて肥料としての糞尿がいかに重要であったかが論じられる。人間の糞尿が肥料として用いられたのは、古く鎌倉時代からで、江戸時代には下肥として重宝されるようになる。人糞は世界的に利用されていたと思い込んでいたのだが、西欧では廃棄されるだけで用いられることはなかったそうだ。そんなこともあって、シーボルトをはじめ、日本を訪れた西欧人たちは、農業に糞尿が用いられていることに驚き、嫌悪した。しかし、糞尿の臭気を我慢しリサイクルするシステムを発達させていたとは、えらいやないか日本人!

そんな歴史があったからだろうか、日本では、便所をちゃんと掃除すると、きれいな赤ちゃんが生まれると言い伝えられてきた。紅白歌合戦にも出出場した植村花菜の『トイレの神様』もその流れだ。かくいうわたしも、はるか昔、小学校3年、4年の時の担任だったむっちゃ怖いイナバ先生にそう教えられた。みんなで「俺ら、絶対に綺麗な子どもができるなぁ」とか言いながら、ホースで水を掛け合いながら必死でトイレ掃除をしていたのが懐かしい。

そういえば、肥たごに落ちたら名前を変えなければならないという話をよく聞いた。昔は、大阪近郊でも肥たごを見かけることがあった。耐寒遠足に行くと、肥たごが厚く凍っている。なんでも、乗ったとたんに割れてはまった子がいたとかいないとか。あかん、また、しょうもない話を思い出してしもた。気を取り直す。再び、ウンコの汚さの考察に戻ります。

ウンコは「汚いか?」、あるいは「汚くないか?」という問いの立て方自体が、じつは極めて現代的な発想に絡めとられている結果なのだと言えはしまいか

もちろん言えるに決まっている。

しかし、ウンコが宝物であった時代はいつまでも続かない。人口密集や都市化などから、ウンコのエコ循環ができなくなっていく。そのあわれな過程が、第四章『せめぎあうウンコの利用と処理』、第五章『都市でウンコが「汚物」になる』、第五章『消失するウンコの価値』で哀しく描かれていく。

なつかしのバキュームカーは、ウンコ循環経済とトイレの水洗化の間に咲いた短期間のあだ花という言い方ができるかもしれない。いまはもう、あの姿と臭気を思い浮かべることができる人も減りつつあると思うと、やるせない気持ちになってくる。

第六章は少し趣を変えて、『落とし紙以前、トイレットペーパー以降』と、ウンコを肛門からそぎとる方法論についてである。落とし紙以前は、植物の葉、皮、茎、殻、木片、棒きれ、海藻、縄などが使われていた。特に蕗と葛の葉が多様されており、それぞれ、「拭く」と「糞っ葉」という言葉と関連があるとか、興味ある学説が披瀝される。ホンマですか…。世界のトイレットペーパー事情なども、思わずウンウンと納得である。

最後『ウンコが教えてくれたこと』と題された第八章では、ここまでの事例を元に、ウンコの「汚さ」や「排除」について、ゴーギャンやボーヴォワールをあげならが考察される。もちろんここでもウンコウンコと納得だ。

念のために申し上げておくが、全編ユーモラスな記述ではあるが、『人糞地理学ことはじめ』とサブタイトルがつけられていることからわかるように、内容はとても学術的だ。

たかがウンコ、されどウンコ。身近という言葉すらよそよそしい。何しろ元は身中にあったのだ。タイトルどおり、その来し方と行く末をしっかりと学んでみられてはいかがでしょうんこ。わ、知らん間にうんこがついとる…
 

極夜行

作者:唯介, 角幡
出版社:文藝春秋
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 日の昇らない北極圏を犬と共に行く。角幡のウンコを大好きな犬は、こともあろうに肛門を嘗めようとまでしたという。
 

透明人間の告白 上 (河出文庫)

作者:H・F・セイント
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透明人間の告白 下 (河出文庫)

作者:H・F・セイント
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 バカバカしいといえばバカバカしいけれど、おもろいといえばむっちゃおもろいです。
 

ヤマケイ文庫 くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを

作者:伊沢 正名
出版社:山と渓谷社
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 HONZでウンコといえば、この本をはずす訳にはいきません。
 

バキュームカーはえらかった!―黄金機械化部隊の戦後史

作者:村野 まさよし
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 この名著が絶版とは… 涙。

 

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