東京・新大久保といえば韓国のイメージが強い。韓流アイドルの関連グッズや化粧品を求めて客が押し寄せる光景はテレビでもおなじみだ。だが、コリアンタウンとしての顔は一面で、今や「東南アジアの下町」の様相が色濃くなっているというから驚く。本書では、新大久保に魅了され引っ越しまでしてしまった著者が、多国籍タウンの今を描いている。
階下から香辛料の匂いが立ち上り、民族調の音楽がどこからか聞こえてくる。窓の外に目を向けると、ムスリムのおばちゃんがベランダで洗濯物を干している。これは東南アジアのどこかの都市ではない。著者が住む大久保2丁目の光景だ。大久保2丁目は住民の3割以上を外国人が占めると聞けば納得だろう。
なぜ新大久保に外国人が集まるようになったのか。インフラが整っていたことが最大の理由と著者は指摘する。戦前から留学生を支援する日本語学校があり、今も日本語学校や専門学校が多い。また、新宿の歌舞伎町に近接しているため、そこで働く韓国人ホステスが住み始め、外国人向けの店も増えていった。
「新大久保=韓国」の図式が崩れ始めたのは、2011年以降と最近だ。東日本大震災後、留学生を中心に日本を離れる韓国人が急増した。その穴を埋めるため日本政府がベトナムやネパールなどの人を対象にビザ要件を緩和したことで、街を歩く人の顔ぶれが変わり始めたという。
もちろん、今でも新大久保の目抜き通りには韓国関連の店舗が軒を連ねる。韓国式チーズドッグ「ハットグ」のような新大久保発の食のブームを巻き起こす活力も健在だ。ただ、一歩、路地に入ると、街の景色は変わり、ベトナム、中国、ネパールなどの料理店や雑貨店が目立つ。
彼、彼女らは日本を利用し、商売でのし上がろうと野心を隠さない。タピオカがはやればタピオカドリンク店を展開し、ガールズバーがブームと見ればガールズバーを開店する。「新大久保は韓国料理が定番」とベトナム人が韓国料理をためらいもなく提供する。著者は日常的に彼らと交わることで、生活者としての姿を引き出し、異国で暮らす外国人の実像を浮き彫りにする。
彼らの話を通じて思い知らされるのは、東南アジアの人々にとって日本がまだまだ魅力的な国であることだ。「頑張った分だけ報われる」。日本人にとってはもはや幻想としか思えない言葉が、彼らを支える。多くの日本人が「報われないことばかり」と嘆く社会も、彼らの母国と比べれば、はるかに平等な競争が用意された社会なのだ。
多くの外国人が集まることによる弊害も指摘する。外国人が増えるにつれ、旧住民との軋轢が絶えなくなり、街を去った日本人も少なくない。
ただ、本書で圧巻なのは、マイナス面ばかりを見ていては、現状は変わらないという立場を取っている点だ。地元の日本人と外国人がイベントを共催するなどして、相互の文化に対する理解を深める。すぐには理解できないという前提で、時間をかけて共生を模索する。新大久保という「移民最前線」で起きていることは、これから日本各地で起こりうる。日本人も変わらなければならないという姿勢から学ぶことは多い。
※週刊東洋経済 2020年10月24日号