遺伝子という単語は、個人の傑出した才能について語るときに使われることが多い。社会や個人を語る際にこの単語を使用することはセンシティブな問題をはらむが、「○○の遺伝子」という言い方には、努力では容易に到達できない才能に対する憧憬の気持ちが込められているのがつねだ。
しかし、遺伝子を単に才能や特徴など個人レベルの違いの源泉とするのは、一面的な捉え方でしかないと本書は教えてくれる。本書によると、私たちの遺伝子には集団や社会を形成するのに必須となる設計図が刻まれている。そして、どんな集団も、その設計図に則って共通の構造を形作っているというのだ。
この設計図、つまり遺伝子が形作る青写真のことを、本書では社会性一式(ソーシャルスイート)と呼んでいる。その構成要素には、アイデンティティ/愛情/交友/社会的ネットワーク/協力/内集団バイアス/学習などが含まれているそうだ。
なぜ、今これが重要なのか。それは、世界があまりにも分断され、対立が激化しているようにしか見えないからだ。経済格差、人種問題、国家間対立。対立する集団同士の違いに焦点を合わせると絶望的な状況にも思える。だが一方で、それぞれの集団が共有している社会性一式は、私たちを分断するものよりはるかに深遠で価値がある。
これを示すエビデンスとして、本書は、さまざまな集団の事例を紹介していく。難破事故の生存者コミュニティから、ある意図の下に作られたユートピア的コミュニティ、南極基地の科学者コミュニティまで。一見、何の関係もないように思えるこれらバラバラの集団の中に、普遍的な共通性が確認される。
一方で、夫婦から家族、友人へと集団の範囲を広げていくと、もう1つ無視できない大きなファクターが出てくる。それは文化だ。文化の進化は、集団を構成する人々がどれだけ協力的で、社会的に学習できるかにかかっている。つまり人類共通の普遍的な社会性一式のうえで、多様な文化は育まれているのだ。
本書後半では、文化的進化と遺伝的進化の共進化という構図も説明される。無関係と思われてきた文化的進化と遺伝的進化は、実は隣りあわせのより糸として、何度も繰り返し交差してきたという。
より興味を引くのは、文化的進化が遺伝的進化にどのように影響を与えたかのほうだろう。文化的な発明はやがて人体の物理的変化としてフィードバックされ、変化は環境に適応的で有益なものになっていくそうだ。これは山に乗っかった丘が山自体を動かしてしまうような、アクロバティックな事実だ。
ところで、遺伝子は人の運命を決定付けるものなのだろうか。そうだとすれば、努力などしなくても、私たちの社会性一式はすべてをよい方向へ進めてくれることになるはずだ。
だが、本書の青写真というキーワードは、これを否定する。よき青写真=よき未来では決してないのだ。青写真からは逸脱することもできる。だが、逸脱がすぎれば社会は崩壊してしまう。本書のポジティブな論調の中に垣間見える厳しい現実にも、われわれは目を向けるべきだ。
※週刊東洋経済 2020年10月17日号