本書の著者「ちゃんへん.」は、朝鮮半島の釜山出身のハラボジ(祖父)と、済州島出身のハルモニ(祖母)をもつ在日コリアン3世。在日コリアンが多く住む、京都の「ウトロ地区」で生まれ育った。
小学校の入学式。著者は自分の名前「金昌幸(キムチャンヘン)」ではなく「岡本昌幸(おかもとまさゆき)」という名札を付けられた。幼き当時、朝鮮の歴史はもちろん、国籍の概念もなく、「小学生になったら、みんな名前がもう1つ増えるんやな」ぐらいに思ったという。
しかし入学以降、自分は周りとはどうやら違うらしいということに気づき始める。
例えば、授業で「好きな食べ物を書きましょう」と言われた時。クラスメイトたちはオムライスやハンバーグ、ウィンナーなどと書くなか、著者が挙げたのは、キムチやピビンバ、テンジャンチゲなどコリアン料理ばかり。韓流ブームの兆しすらまだなかった当時、クラスメイトたちからすれば、未知の料理ばかりだった。
あるいは運動会。朝鮮民族は元々、家庭料理を外で食べる時には、家である程度調理したものを、現地で仕上げて味わう文化がある。周りの家族はお弁当をもってきている一方で、著者の家族は、軽トラックに食材と調理器具を積み、運動場でホットプレートでチヂミを焼いたり、青いポリバケツからキムチを出したりしていた。
そうした周囲との違いは、自意識が確立してくる年頃になると、「いじめ」の種になっていく。日を追うごとにエスカレートしていく壮絶ないじめの一部が、noteで“試し読み”できるようになっているが、ここでも書かれているように、いじめがついに先生たちに見つかったとき、学校に駆けつけた母は、いじめた子たちに向かって
「素敵な夢持ってる子はな、いじめなんてせえへんのや。お前らのやってることはただの弱いもんいじめや。強さを自慢したかったらルールのある世界で勝負せえ!」
と言い放った。
その日の夜に会いにいった、平壌出身の曽祖母からは、
「ヒトはな、イジメられたくなかったら、ヒトよりドリョクせなアカン。だから、いつかジブンがガンバれるもんにデアったら、それをイッショウケンメイガンバってイチバンになりなさい。イチバンになったらな、イジメられるどころか、オマエをマモってくれるヒトがタクサンアツまってくるんや。」
という言葉を贈られた。
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そんな二人の言葉に背中を押されるように、著者はその後、ひょんなことから出会ったジャグリングを「ジブンがガンバれるもん」として心に決め、研鑽を積み重ねていく。そして、「イチバン」を目指してアメリカのコンテスト出場を目指すことに。
しかしアメリカへ行きたいという著者の願いを聞いた母は、真剣な面持ちで問いかけてきた。
「私たち、なにじん? 北朝鮮の人間なのか、韓国の人間なのか」
在日コリアンは、祖国が南北に分かれたことで国籍を失っており、自ら国籍を取得にしいかないかぎり、無国籍状態だったのだ。
「それなら韓国の国籍を選んでパスポートをとればいい、簡単な話じゃないか」と著者は内心思うも、国籍を取得していなかったのには、ハラボジ(祖父)とハンメ(祖母)の強い想いがあった…。
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涙溢れる家族会議の末、著者は韓国国籍を取得し、その後、世界80以上の国・地域で活躍するプロのジャグリング・パフォーマーになっていく。そのなかには、祖父母が「いつか帰れる日」を待ち望んだ南北朝鮮も含まれれば、紛争や貧困などによって、いま現在「平和」とは言い難い地域も含まれる。
そうした国々での様々な出会いのなかで、著者が常に見つめ続けているのは「ラベル」だ。国籍というラベル。宗教というラベル。貧困というラベル。幸せというラベル…。一括りにしようとするラベルのなかに、自分が押し込められてモヤモヤすることもあれば、逆に誰かを押し込めようとしている自分にも気づいたり…。
様々なラベルの「中身」を自分の目や耳で確かめようとするのは、著者自身が、韓国国籍を取得したのちも「自分は何者なのか?」を問い続けていたからかもしれない。
ハラボジ(祖父)の言葉に
「国籍変わってもな、人間の中身までは変わらへんねん」「死に方を問うな。生き方を問え」
という言葉があるが、本書は、「自分は何者なのか」を問い続けた著者が、「挑戦人」として生きるに至るまでのヒントや糧をもらった人たちとの出会いの記録といえるだろう。