第三次AIブームにのって有象無象のスタートアップベンチャーが立ち上げられた。一次は玉石混合の状態だった中、ここ数年で真に社会課題を解決しそうなベンチャーが生き残るようになってきている。その中でもユニコーン(企業価値10億ドル以上の非上場企業)まで評価されるようになったのがPreferredNetworksという会社だ。
同社は、2020年初時点では日本最高のユニコーン企業として注目を浴びている。一方で、一般的には「噂には聞くがいまいち何をしているのかよく分からない会社」という印象が未だにありそうだ。本書はそんなベールに包まれがちだったAI企業PreferredNetworks社の内幕を同社共同創業者である西川徹と岡野原大輔が明かす初の書である。
PreferredNetworks社を一躍有名にしたのは、同社が開発した基盤ソフトウェア「Chainer」だ。ディープラーニング用の基盤ソフトがまだ世に少ない中、後々業界を圧巻することになるGoogleやFacebookよりも先にソフトを開発したことから国内外で注目を集めた。その後は戦うフィールドを変え、京都大学山中教授グループとのiPS細胞の共同研究、ファナックとの産業用ロボット共同研究、トヨタ自動車との自動運転共同研究など、AI技術の中でもディープラーニングを使った社会課題への挑戦を表明している。
単なる委託開発はせず成功率10%以下の課題に挑み続ける強気の経営スタイル、一分野で秀でた人間しか採用しない採用政策、ベンチャーキャピタルではなく事業会社からの出資を志向する資本政策など、その尖った内容は面白い。ただ本書の価値を高めているのは第五章の共同創業者の岡野原大輔による最先端AI講座だ。
AI入門書は構造や技術をたんたんと説明し退屈な内容になりがちだが、その中で本書は際立っている。岡野原大輔の解説は、基礎知識から根本思想までを分かりやすく、かつ、興味深く解説できている。さすが、論文オタクと呼ばれながら実ビジネスを展開しているだけある。グッドコミュニケーターだ。まるで有名教授の授業を聴くかのようである。AIとは何たるかを改めて整理したい人にとっては第五章を読むだけでもためになるはずだ。
「教師あり学習」「教師なし学習」「深層強化学習」「誤差逆転」「ニューラルネットワーク」「生成モデル」など、基礎を分かりやすく説明しつつ、読者を飽きさせないような小ネタも散りばめていく。ディープラーニングの強みである汎化の謎に解説を加えたり、論理的にはいかにも邪魔をしそうなノイズや癖が逆にディープラーニングの汎化能力を強くしているなどの意外な事実も明かす。ページ数は多くはないが入門書としては興味深く読める内容になっている。
PreferredNetworks社が飛びぬけたAI技術集団なのは間違いなさそうだ。本書では深くは触れられていないが、次なる成功の鍵は実在する社会問題の解決できるビジネスへの応用ができるか。ここはなんといっても経営力が試されるが、30代の創業者たちはあか抜けている。
まずは自動車、製造業、バイオヘルスケアの分野でビジネスを推進するという。そしてその先にパーソナルロボット開発を見据えている。ディープラーニングを基とした「目」を強化させたロボット開発を試みるそうだ。これは従来の制御理論を突き詰めたボストンダイナミックスや他のロボット企業とはアプローチが大きく異なる。実に今後のロボット技術競争が楽しみだ。
時代によってどの分野が儲かるのかは大きく変わってくる。パソコン覇者だったIBMを凌駕していったのはOSを作ったマイクロソフトだった。既存の自動車やロボット業界を凌駕していくのはディープラーニングを操るAI企業なのかもしれない。本書で描かれるのは最先端技術で新しいビジネスの覇権を作ろうとするチャレンジだ。読了後になんだかワクワクする好著である。