米国の大物映画プロデューサーによる女優や自社従業員への数々の性的虐待が明るみに出た、ハーヴェイ・ワインスタイン事件。その衝撃から#MeToo運動に火がつき、世界中へ拡大していったことは記憶に新しい。
まさにダムが決壊するような事態となったわけだが、起点はニューヨーク・タイムズの調査報道による約3300語の記事であった。
ひと口に調査報道というが、調査することも報道することも、全体からすればパーツの1つにすぎない。調査に至るまでの情報提供者の説得、被害者を公表するうえでの情報戦略、取材プロセスを公平なものにするための加害者側とのやり取り、そして報道後の協力者のケア。本書はこの「情報戦争」の全容を、余すところなく収めた1冊である。
それにしてもワインスタインという人物は、恐ろしい男だ。セクハラを行い、それをパワハラで封じ込めるというのだから、まさにハラスメントのマッチポンプ。状況が不利になったときにはイスラエルのスパイ会社まで駆使して記事の抑えこみを試みるなど、悪のスケールも桁外れだ。
このような巨悪に立ち向かうには、すべてを衆目に晒すしかない。しかしそれを阻む高い壁がいくつもあった。
1つが秘密保持契約だ。こうしたケースの示談では多くの場合、被害者は自身の経験を語る権利を放棄する書類にサインさせられるという。女性たちは、これによって沈黙を余儀なくされていたのだ。日常に戻るため、ことを荒立てず一刻も早く陰惨な事件を忘れ去りたい。そう考える被害者にとっても沈黙は悪くない策に思える。だがそれは、嫌がらせを止める方向ではなく、逆に加害者を増長させる方向へ作用してしまうのだ。
また、会社組織という特有の舞台も、犯罪の再生産を助長した。多くの会社の上層部は、問題が発覚しても被害にあった女性たちの幸福な人生より、会社の繁栄を優先させてしまう。その姿勢が隠蔽を加速させるのだ。
しかし、ジャーナリストたちは公表に向かって被害者たちを説得していく。「過去にあなたに起きたことを変えることはわたしたちにはできない。でもね、わたしたちが力を合わせれば、あなたの体験をほかの人を守ることに使うことができるかもしれない」と。自分の経験を話すことがその先の行動につながる、という手応えを少しずつ感じながら、多くの女性たちが声を上げるようになっていく。
ソーシャルメディアの台頭とともに、昨今では、新聞社などの言論機関より、著名な個人アカウントの発言のほうに注目が集まるようになった。しかし言論機関と個人は決して対立する存在ではない。時宜を捉えて呼応しあえば、社会を大きく変革することができるのだ。その裏には、ジャーナリズムを生業とする者でなければなしえない、ファクトへの強いこだわりと水面下での激しい攻防があった。
調査や報道それ自体がすべてではない。大切なのは社会とのコンセンサスをどのように築いていくかだ。人々の連帯で世の中をアップデートし、社会を大きく変革したという意味において、本書の記述は実に貴重だ。複雑化する社会のあらゆる問題を解決していくための手引きとなるだろう。
※週刊東洋経済 2020年9月12日号