1997年に発覚した、民間金融機関などによる大蔵官僚への過剰接待事件以降、官僚の劣化が止まらない。中央官庁というのはブラック企業の典型であることが詳(つまび)らかになり、ルサンチマンを抱えた国民のバッシングを浴び、天下りも禁止される中、新卒採用での人気低下、止まらない若手の大量退職など、側から見ていても同情を禁じ得ないほど地盤沈下している。
こんな状態では官僚の士気は上がりようもないし、レベルの低い政治家に代わって能吏が組織として国を支えるという構造が崩れてしまったら、一体、日本はどうなってしまうのだろうか。こうした心配が、今まさに現実のものになろうとしている。
自分の大学の同期の中でも、当時の大蔵省(今の財務省と金融庁)に入省したのは、飛び切り優秀で真面目で勤勉な連中ばかりだった。それにも関わらず、そうした中から、森友学園への土地売却交渉記録の改ざんを指示した上に、国会で「廃棄した」とか「記録が残っていない」という答弁を繰り返した佐川前理財局長(後の国税庁長官)のような人物が出現したというのは、衝撃的な出来事だった。
親しい財務官僚にこの件について聞いてみたが、全く信じられないとしか言いようがないし、自分には考えられないと悔しそうに語っていた。法の適正な執行とその記録の保存は、国家公務員としての国民に対する責務であり、それらは官僚が法令に則って適正に業務を遂行している証拠だという意味で、自らの身を守るためのボトムラインでもある。もしそこが守られないのであれば、自己の存在意義そのものの否定になってしまう。
森友決裁文書改ざんに続いて、堰を切ったように、加計学園選考不明、自衛隊日報隠し、桜を見る会招待者名簿破棄などが次々と明らかになった。そもそも公文書を作らない、保存期間を一年未満にして廃棄する、開示請求があれば私的な文書であるとして公開しないし、保存されていても破棄したことにしてしまう、電子メールでのやり取りは公文書とはしないなど、これでもかという位の公文書軽視と、それがもたらす公文書危機は、民主主義崩壊の序曲に他ならない。
毎日新聞は、2017年12月の公文書管理のガイドライン改定後から約1年分の首相、官房長官の面談記録を、内閣官房に請求してきた。内閣官房は、1年の間に首相、官房長官と250回近い面談をしながら、「打ち合わせ記録」を一件も作っていない。つまり、ガイドラインが定義するような、方針に影響を及ぼす面談が1年を通じて一回もなかったことになる。
開示されたレク資料を見ると、首相面談のテーマは、「観光戦略」「国土 強靭 化計画」「健康・医療戦略」「女性活躍」「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)」「ニッポン1億総活躍プラン」「人生100年時代構想」など、日本の針路を決めるような重要な政策ばかりである。官房長官も同様に、「北朝鮮漁民の漂着事案」「北朝鮮拉致問題」「訪日外国人への医療の提供」「消費税の軽減税率制度」「東京一極集中の是正」「東京五輪の準備」「カジノ管理委員会」「ギャンブル依存症対策」など、重要な案件ばかりである。
内閣官房は「打ち合わせ記録」を作らなかった理由について、「方針に影響をおよぼさなかった」「報告内容が問題なく了承されたため」などと繰り返すのみで、そもそも記録を作るという発想が見られないという。
官僚にとって都合が悪い、政治家の口利きや官邸からの指示など、いわゆる「政治マター」に属する文書は、取扱いを誤れば現政権に打撃を与えることになり、それに関わった官僚は影に日向に制裁を受ける恐れがあるので、保身が先に働いてしまうのだろう。
1945年、太平洋戦争での敗戦が確実になると、当時の閣僚たちが記録の廃棄を決め、官僚たちが次々と書類に火を放ち、日本の歴史を灰にしてしまった。それは、国民を守るためでも、国を守るためでもなく、やはり戦争を遂行した政権幹部や官僚たちの責任逃れ、保身のためだった。
あれから75年が経ち、戦後の日本がプライドをもって築き上げてきたものが、再び灰燼に帰そうとしていている。
本書は、首相官邸から省庁に深く根を下ろした隠ぺい体質は、もはや誰にも手をつけることができなくなっているとして、次のように書いている。
「わたしはある官僚からこう言われたことがある。『記者さん、わたしたちは政治家に人事を握られている。彼らにとって都合の悪い文書を出せると思いますか?』」
確かに、側から見ていても、最近の中央省庁人事はかなり異様に感じるものが多い。人柄も能力も含めて、将来必ずトップになるだろうと言われていた者が外され、官邸に近い者以外は冷遇されるという傾向が、かなり顕著に見られるようになってきた。
マスコミの劣化ということが言われて久しいが、本書の前提になっている毎日新聞のキャンペーン報道「公文書クライシス」は、久し振りにマスコミの矜持を見せてくれた。それでは、官僚はどうなのだろうか。今こそ官僚の矜持を見せるべき時なのではないだろうか。