『スポーツ・アイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる』「皆が野球」ではない、スポーツ選択を考える
著者は編集者、ノンフィクション作家として多くの有名人を取材する中で、一つの仮説を立てるようになる。人の性格はスポーツ歴に影響を受けているのではないか。個人スポーツか集団スポーツか、そして、集団スポーツならばどのポジションを担ったか。本書では、多くの取材をもとに、マラソンに野球、サッカー、格闘技にラグビー、ゴルフ、水泳など、各競技の選手や経験者に共通する性格をあぶり出すことが試みられている。
例えば、野球では、投手にはわがままなタイプが多く、捕手は一筋縄ではいかない。サッカーならば、フォワード(FW)は傲慢で、サイドバックは場を和ますいじられ役といった調子だ。これらは想像しやすいが、投手やFWはエゴ丸出しに見えても、常にチームメートへ繊細な意識を向けているというから興味深い。
Jリーグの清水エスパルスに在籍した元イタリア代表のマッサーロという選手の例がわかりやすい。彼は試合では守備をまったくせず「パスをよこせ」と叫び続けたが、ピッチを離れれば、コンビを組む選手に食事をおごるなどケアを怠らなかったという。
特定のスポーツやポジションに適した性格があり、結果を出すアスリートは、先天的にそれと合致している場合も、後天的に得ることもあると著者は指摘する。持って生まれた気質が向いているから深くのめりこみ、さらに上達することも、選んだスポーツから影響を受け性格が形成される場合もあるということだ。
ある競技と競技者の性格に関係があることは自明に思われるかもしれないが、その知見が生かされているとは言いがたい。ひと昔前は、身体能力の高い子どもは野球をするのが当たり前だったが、考えてみればむちゃくちゃな話だ。勉強のできる子にも不得意科目があるように、スポーツが得意な子もあらゆるスポーツに等しく適性があるわけではないだろう。皆が野球をすることで、ほかのスポーツでなら輝けたかもしれない才能が埋もれた可能性は否定できない、との主張はもっともだ。
ポジション選択でも同じような悲劇が生まれる。少年サッカーでは今も、体が大きく身体能力が高い子はFWをさせられる傾向がある。幼少期はよくても、年を重ねるにつれ身体能力だけでは通用しなくなるケースは少なくない。
性格の向き不向きが顕著に出るスポーツもある。例えば、野球ならば肩の強さや体の大きさ、サッカーならば足の速さやボールを捉える感覚は生来のものが大きく、条件的に恵まれない者がそれらを備えた選手を追い抜くのは非常に難しい。だが、格闘技や柔道などの寝技は、練習の積み重ねがすべてと言っても過言ではない。寝技は、体格に恵まれセンスがあっても、それだけでは熟練者には絶対に勝てないため、負けても負けてもひたすら練習する根気強さが不可欠だという。
本書は文化論であり、組織論であり、教育論でもある。組織内のコミュニケーションに悩む人ならば、上司や部下がどのようなスポーツの経験者かを知ることで、会話を友好的に運ぶ方法を見いだせるかもしれない。小さな子どもを持つ親ならば、子どものスポーツ選択を見守るためのヒントを見つけられるはずだ。
※週刊東洋経済 2020年8月8日号