今や巨人となったスタートアップ企業の成功譚ではあるのだが、不思議な読後感をもたらす一冊だ。世間知らずの大学生によるウェブサービスが世界中へ広がっていく爽快感もなければ、急成長に浮かれて失敗するお茶目さもない。例えるなら、人気ファンタジードラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の重厚なタイトルBGMが延々流れているような世界観。その通奏低音の中に、人を物語へ強く引き込む異質な磁力がある。
本書には、音楽ストリーミング分野で世界最大の企業となった「Spotify(スポティファイ)」が北欧で産声を上げてから、世界中に「いつでも音楽を」提供するようになるまでの過程が描かれる。プロセスをユニークなものにしているのは、起点がスウェーデンであったこと、そして裾野の広い音楽業界が舞台である点だ。この2つの条件によって、世界を変えるまでの独自の道筋が示されたと言っても過言ではない。
スウェーデンは、コロナ禍対策として集団免疫獲得を目指す道を選んだことからもわかるように、時に思い切った戦略を取ることがある。2000年代のIT黎明期においても、パソコン普及運動を行ったりブロードバンド網を整備したりと、早い段階でネットインフラが整備されていた。
もちろんこれには功と罪がある。功の1つは、本書の主人公ダニエル・エクをはじめとしたIT技術者が多く育ったことだ。「待つなんてクールじゃない」というモットーの下、同社のサービスは0.2秒以内の再生にこだわっていたが、これを実現させたP2P技術の活用においてはインフラが整備されたスウェーデンという場所が有利に働いたことだろう。
一方、インフラが整備されていたからこそ、違法コピーサイトが世界でも類を見ないくらいに跋扈(ばっこ)した。この惨状とスポティファイの技術力が結びついたのは必然だったのかもしれない。さらにダニエル・エク率いるスポティファイは、これら違法コピーサイトを敵ではなく、ライバルと捉えた。この点が、彼らの将来を大きくポジティブなものにしていったのだ。
成功への道のりは険しく、これでもかというくらいに強敵が襲いかかってきた。それも、あらゆる方面からである。レコード会社とのタフな交渉、巨大ITプラットフォーマーからの嫌がらせ、油断していると著名アーティストからも攻撃の刃を向けられる。ボブ・ディラン、テイラー・スウィフト……。
それにしても一社の足取りを追っているだけで、音楽と人との関わりにまで思いを馳せることができてしまうのが面白い。「いつでも音楽を」というキャッチフレーズを現実のものにしようとするスポティファイ、その機能拡張の歴史を辿(たど)っていくと、人と音楽の関係はどうあるべきか? そして人にとって音楽とはどういうものか? 世界中の音楽を構造化するということはどういうことか? といったことが、自ずと読み解けるはずだ。
副題に「誕生」とあるように、スポティファイはまだスタート地点に立ったにすぎない。このドラマの続きをリアルタイムで追いかけていける喜びとともに、本書を読み終えることができるだろう。
※週刊東洋経済 2020年8月1日号