ハッサン・ダムルジは肝が据わっている。
本書(原題The Responsible Globalist)がイギリスで出版されたのは2019年秋。イギリスではEU離脱をめぐる国内対立が深まっており、アメリカのトランプ政権はメキシコからの移民取り締まりを強化し、米中は貿易戦争を繰り広げていた。
自国ファースト、反グローバリズムのうねりが高まるなか、本書の取材を続けるダムルジに、ギリシャの元財務相は「こんな時代にグローバリズムの必要性を訴えるのは、いまのヨーロッパで左翼政党が共産主義をかかげて選挙を戦うようなもの」と忠告したという。「グローバル」という言葉自体にマイナスイメージが付きすぎているので使わないほうがいい、とすら言われた。そんな完全アウェーともいえる状況で、ダムルジは敢えて「グローバリズムをアップデートして、人類がひとつになる世界国家の実現を目指そう」と呼びかけた。さすがはビル・ゲイツの見込んだ人物だ。
ダムルジはイラク人の父とアイルランド人の母のもと、イギリスで生まれた。オックスフォード大学卒業後、ハーバード大学にて中東研究で修士号を取得。現在37歳だが、世界最大の慈善団体であるビル&メリンダ・ゲイツ財団のデピュティ・ディレクターとして、中東、パキスタン、韓国、日本で政策立案や提言をとりまとめる。ゲイツ財団での活動以外にも、地元ロンドンで知人とともに学校を設立するなど社会活動家の顔も持つ。2015年に32歳で『アラビアン・ビジネス』誌の選ぶ「最も影響力のある40歳以下のアラブ人100人」に初めて選出されて以降、このリストの常連となっている。
本書はすっかり色あせてしまった従来のグローバリズムの問題点を洗い出し、新たなビジョンと方法論を提唱する、いわば「新生グローバリズムのマニフェスト」だ。著者が浮世離れしたドン・キホーテではないことは、本書を読めばわかる。むしろ欧米諸国の視点だけで世界を見るのをやめ、現実を見よ、と説く。世界に目を向ければ「自分は特定の国家というより世界の市民である」と考える人、そして気候変動などグローバルな問題については国際機関に強制力を持たせるべきだと考える人のほうが多数派だ、と。
ダムルジの視点の新しさは、グローバリズムの進むべき道を考えるヒントを、ナショナリズムの歩みに求めている点にある。一見、思想として対極にあるような両者だが、実は重なり合う部分が多い、という。反グローバリズムが吹き荒れる今でも、ダムルジが「世界市民」というグローバル・アイデンティティが今後も浸透していくと確信しているのは、かつて「〇〇国民」というナショナル・アイデンティティの醸成につながった要因が、いまではグローバルに作用しているからだ。英語という公用語の普及に加えて、かつての新聞や鉄道に代わり、今ではユーチューブに代表されるネットメディアや飛行機がグローバルな情報の共有やヒトの交流を支えている。
あらゆるアイデンティティはフィクションだ、とダムルジは指摘する。たとえばドイツやイタリアが統一国家となり、ドイツ国民、イタリア国民というアイデンティティが誕生したのは19世紀後半だ。アメリカも建国から250年近く経つものの、ひとつの国家という意識が明確に芽生えたのは19世紀末だ。
このように比較的歴史が浅いにもかかわらず、ナショナル・アイデンティティほど幅広い人々を団結させた概念はない。人々は会ったこともない貧しい同胞を支援するために税金として収入の一部を差し出し、若者は国を守るために命を懸けるようになった。ならば「同胞」の範囲を地球全体に広げ、グローバル・アイデンティティという新たなフィクションを生み出すことも可能なはずだ、という前提にもとづいて、本書はその方法を検討する。
本書の提案する新たなグローバリズムの特徴は、「必要十分」という言葉に集約できるかもしれない。グローバル国家を既存の国民国家に置き換わる存在ととらえ、国民国家が果たしている役割や機能をすべてグローバル国家に肩代わりさせることを、多くの人が望んでいるわけではないし、その必要もない。人々の心や生活のよりどころである国民国家の枠組みを守りつつ、一国だけでは解決できない問題はグローバル国家に委ねる、というきわめて合理的な発想だ。
ではグローバルに取り組まなければ解決できない問題とは何か。著者が挙げるのは、「課税」と「武力行使」だ。
現在、資金の流れはグローバルになったが、税金はまだ国単位だ。このためタックスヘイブンを利用することで富裕層は資産を不当にため込み、多国籍企業は節税ができる。現在の税法で、個人がタックスヘイブンを使うことで政府が失う税収は毎年2000億ドル、法人税収の逸失分は毎年6000億ドル。両者を合わせると、世界中で徴収されている税の約4%に近いという。
一方、そのような手立てを持たない先進国の中低所得層は税金を納め、その一部が途上国の支援にまわされる。グローバル化によって製造業が途上国に移転するなど、雇用を失う不安にも直面している。こうした人々がグローバル化に反発するのは当然だ。著者は世界一律の富裕税を導入し、その半分を途上国支援に充てることで、グローバル化の恩恵を誰よりも
享受している世界の富裕層に応分の負担を課すことを提案する。
もうひとつ、著者がグローバル政府に集約すべき権限として挙げるのが、武力行使だ。国民国家が好き勝手に武力を行使する権利が、なぜ問題なのか。それは著者の父方の母国であるイラクが、有志連合による「イラクの自由作戦」の後、どれほどの混乱に陥ったかを見れば明らかだ。
「グローバル体制の実態はいじめっ子が支配する校庭と変わらず、強い者の主張が通り、弱い者には身を守るすべがないことを見せつけるような重大な意思決定が繰り返されてきた」として、著者は国連の意思決定システムの見直しを訴える。第二次世界大戦以降、常任理事国の座を独占しつづける5カ国だけが拒否権を駆使する現状はおかしい。国際的な武力行使の是非は、すべての国に人口、経済規模、対外援助への貢献度に応じて投票権を与え、採決すべきだ、という。
世間に名を知られた政治家でも大物実業家でもない、一介の開発専門家がずいぶんと大風呂敷を広げたものだ、と思われるかもしれない。それでもダムルジがフューチャー・ネーションの構想を語るのは、ナショナル・アイデンティティというフィクションも、偶然の産物ではなかったと知っているからだ。それは国家統一に必要性と情熱を感じた人々が、共通のアイデンティティという概念を積極的に広め、それが大衆の想像力を刺激した結果だった。
本国での刊行から日本語版が出版されるまでの数カ月のあいだに、新型コロナウイルスのパンデミックが発生し、世界の様相は一変した。「人類の本当の敵は他の人間ではなく、気候変動や感染症、核戦争など人間以外の脅威だ」という本書の指摘が、早くも裏づけられた格好だ。しかし現実にはパンデミックによって世界の分断は深まっている。2020年秋の大統領選挙をにらみ、トランプ大統領はウイルスが世界に広がったのは中国が初期対応を誤ったせいだと、しきりに反中感情を煽っている。中国に損害賠償を求める動きは欧米のみならず、インド、ナイジェリア、トルコなどにも広がっている。必要な物資を自国に囲い込もうとする動きも見られた。
ヒトやモノの流れを完全に止めるのはもはや不可能で、世界が一丸となって情報や知見を共有し、ワクチンや治療薬の開発と普及に取り組むべきときに、まったく逆の流れが生まれようとしている。本書は特定の集団を敵とみなし、内集団の結束を高めるのは、ナショナリストの常套手段だったと説明し、グローバリストがその轍を踏んではならない、と強く訴える。
社会の不安が高まり、誰もが自らの身を守ることで精一杯な気分になりがちな今こそ、本書の価値は一段と高まっているといえよう。
私自身、中国に責任を取らせる、というトランプ大統領の発言を聞いて、つい「やっちまえ」と思うこともある。一方、武漢でソーシャルワーカーとして働き、都市封鎖下での日々を『武漢封城日記』として発信した郭晶さんの葛藤に涙ぐんだり、その行動力に胸を熱くしたりもする。国レベルと個人レベル、私のなかにもことなるアイデンティティが存在していることを意識するようになったのは、本書を翻訳してからだ。できるだけその共感の範囲を広げ、悪意ある刺激にローカルな自分が反応しないように心がければ、まっとうなグローバル市民に近づけるだろうか。
2020年6月 土方 奈美