岐阜県揖斐郡徳山村のダム建設は1957年(昭和32年)に計画された。村は水没するため、住民は集団移転地と移転補償金を手にした。ダムが完成し注水が始まったのが2006年9月。計画から50年後だ。
著者が東京から徳山村まで通い始めたのは1993年。廃村のはずが数世帯のお年寄りが暮らしていた。なかでも村の最奥、門入(かどにゅう)に住む廣瀬司さんとゆきえさん夫妻を頻繁に訪ねた。
昼間から酒を酌み交わし、季節の恵みに舌鼓をうつ。農業や山仕事など、毎年の作業を確実に繰り返すため、いつも何かすることがあり、休む暇なく身体を動かす。昔から営まれてきた村の暮らしを一緒に経験した。
だが司さんが亡くなると、ゆきえさんも村を出た。野菜も肉も買わなくてはならず、身体を動かすことがない。著者が訪ねるのを唯一の楽しみにして暮らしていた。問わず語りに聞き始めた「徳山村、百年の軌跡」が思いのほか面白く、ゆきえさんの話を基に取材が始まった。
徳山村でも辺鄙な門入で産声を上げたゆきえさんは1919年(大正8年)生まれ。小学校を卒業後滋賀県の紡績工場に就職する。
タイトルの『ホハレ峠』は集落から外に出るときに必ず通らなくてはならない場所。北海道の開拓団にいた司さんに24歳で嫁ぐときもこの峠を越えた。
なぜ北海道に行ったのか、なぜまた徳山村に戻ったのか。それは村を存続させるため、血族を絶やさぬために北海道の開拓地と故郷である徳山村に血縁関係を残していたからだ。婚姻や養子縁組を繰り返した家系図は複雑に絡まっていた。
著者は行く先々で関係者にめぐり逢い、血縁は次々に繋がっていく。それはかつての庶民が自分たちを守るために紡いだ壮大な叙事詩のようだ。ゆきえさんの死によって、この物語は終わりを告げる。まるで大西暢夫という語り部を見つけて安心したかのように思えてならない。(週刊新潮6/4号)
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たぶん人生で一番泣いた写真集。ダムに沈んでしまう村を残すため、たづ子さんはピッカリコニカを片手に仲間を、風景を写し始める。情け容赦のなく壊されていく村の悲鳴が聞こえるようだ。
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