『ステレオタイプの科学』 色眼鏡で見られると本当にできなくなってしまう

2020年5月3日 印刷向け表示
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「女性は数字に弱い」「高齢者は記憶力がわるい」「日本人はアフリカ系の人に比べて身体能力で劣っている」。わたしたちはしばしば過度の一般化を行い、特定のステレオタイプをとおして周囲の人を眺めてしまう。そして、そうしたステレオタイプがときとして深刻な偏見や差別を生み出してしまうことは、多くの人が知っているとおりである。

だが、ステレオタイプがもたらす悪影響はどうやらそれだけではないようだ。なんと、否定的なステレオタイプをとおして眺められると、眺められたその人は、学業やスポーツ、仕事などで実際にパフォーマンスが落ちてしまうというのだ。

本書は、アメリカの著名な社会心理学者クロード・スティールによるものである。スティールを有名にした研究のひとつが、「ステレオタイプ脅威(stereotype threat)」に関するものである。そして、そのステレオタイプ脅威こそが、先に述べたパフォーマンスの低下を引き起こすものにほかならない。

では、ステレオタイプ脅威はいかにしてわたしたちのパフォーマンスに影響するのか。冒頭の「女性は数字に弱い」というステレオタイプを例にして見てみよう。

そんなステレオタイプが女性の学業成績に対して実際に影響を及ぼしているとはにわかには信じがたいかもしれない。だが、一流大学の成績優秀な女子学生でさえ(いやそういう女子学生こそ)、じつはそうしたステレオタイプの影響に苦しんでいるのである。

著者たちはミシガン大学の学生を対象として実験を行っている。実験に集められたのは、SAT(アメリカの大学進学適性試験)の点数がトップ15%以内で、なおかつ、数学に対して高い能力と関心を有している男子学生と女子学生だ。そして、彼らをひとりずつ研究室に招き入れ、非常に難度の高いテストに挑戦させたのである。

その結果は驚くべきものであった。先の条件のように、集められた学生の基礎学力が同等であるならば、学生たちのテスト結果もふつうは同等になるはずだ。実際、学生たちに難度の高い英語のテストを受けさせると、男子学生と女子学生のテスト結果はほぼ変わらなかった。ところが、学生たちに数学のテストを受けさせると、両者の間に顕著な差が現れた。そう、まるでステレオタイプの内容をなぞるかのように、女子学生は男子学生を数学の成績で下回ってしまったのだ。

しかしそれにしても、どうしてそのようなことが起きたのだろう。著者は、そこにステレオタイプ脅威が働いたからだと言う。女性なら誰でも、「女性は数字に弱い」というステレオタイプを知っている。そして、難度の高い数学の問題に挑むようなときには、どうしてもそのステレオタイプが頭にちらついてしまう。そこで女子学生たちは、「自分がテストに失敗したらそのステレオタイプを追認することになるのではないか」という不安や、「ステレオタイプを追認するようなことがあってはならない」というプレッシャーを感じてしまう。だから、彼女たちは男子学生ほどにはテストに集中できず、それがテスト結果に響いてしまったというのである。

「でも本当にそんなことが起きているのか」と、ここで多くの人が疑問に思われるにちがいない。そこで著者は、自説を裏付けるべく、いくつかの論拠を続く箇所で提示している。以下では、そのうちのふたつを簡単に紹介しよう。

まず重要なのは、ステレオタイプ脅威が取り除かれると、男女間の成績の差が見事に解消されることである。著者たちは対照実験として、今度は女子学生に件のステレオタイプを意識させないよう試みた。具体的には、「このテストの結果に性差はない」と事前に説明したのである。するとまたもや驚くべきことに、女子学生の数学の成績は男子学生のそれと変わらないものになった。「女性の成績不振は消えてなくなったのだ」。

そしてもうひとつ重要なのは、ある人がステレオタイプの脅威下にあると想定されるときには、その人にそれ特有の生理反応や脳の活動が見られることである。実際、そうした時点でそうした人の血圧や心拍数を計測すると、まさに不安を感じているような数値が出る。また、数学の難問に取り組むようなときには、一般には角回や左頭頂葉、あるいは前頭前野といった脳の領域に活性化が認められるが、ステレオタイプ脅威下にある女子学生の場合には、社会的・感情的処理と関連する脳の領域に大きな活性化が認められる。そしてことさら興味深いことに、先述のような仕方でステレオタイプ脅威を取り除いてやると、そのような生理反応や脳活動は消失してしまうのである。

だから、やはりステレオタイプ脅威は「リアル」なのだと著者は言う。そして著者は、そのような脅威はじつは広く認められるのだとも主張する。記憶力がわるいと決めつけられる高齢者、黒人選手と身体能力で比較されるほかの選手、そして白人やアジア系に比して勉強ができないと思われがちな黒人学生などは、その本来の実力が発揮できずにいることが多いというのだ。

最終的に著者は、ステレオタイプ脅威を緩和する方法についても言及している。すでに見たように、ステレオタイプ脅威を取り除く方法は意外と簡単で、しかも大きな効果をもたらす場合が少なくない。少数名のチームであっても女性を複数登用すること、学生たちに「知的能力は拡張可能だ」とさりげなく教えること、また、自分にとって重要な価値観をよく考えて書き出させることなど、そんな簡単なことで個人のパフォーマンスは大きく改善されうる。本書後半のこの部分の指摘は、とくに教育や社会政策に携わっている人であれば、ぜひとも目を通しておきたいところであろう。

以上のように、本書は驚くべき知見の数々を示した本である。そして、それらの知見を説得的に提示しようとしているがゆえに、議論の運びはそれなりに慎重で、いわゆる「外堀を埋める」作業にもかなりの紙幅を費やしている。読む人によっては、そうした記述を「まどろっこしい」と感じることもあるかもしれない。

とはいえ、著者は自身の苦い経験を議論の導入とするなど(著者はアフリカ系アメリカ人だ)、一般読者も退屈せずに読めるような工夫を凝らしてもいる。それゆえ、本書は全体として十分に楽しめる読み物に仕上がっている。「えっー!」と驚いたり、「なるほど」と首肯したりしながら、本書が示す知見を最後までじっくり楽しみたい。
 

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わたしたちの心に潜むバイアスについて論じた本。ステレオタイプについても言及している。

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