1987年、当時26歳の青年が自費出版した本が大きな評判を呼んだ。著者は大学院を中退したばかりの物理学徒で、「100部も売れれば奇跡」と出した本が、一部の大手書店では一般文芸書を抜いてベストセラーになるほど売れた。この『物理数学の直観的方法』はその後、講談社ブルーバックスに収められ、現在も版を重ねている。
著者の手法は、難解な概念の核心部分を、大胆なイメージ化によって直観的に理解させるというものだ。ベクトル解析やフーリエ変換といった数学の「難所」につまずいた学生たちから「目からウロコが落ちた」「初めて腑に落ちた」と絶賛の声が相次いだというのもうなずける。その手法を経済学に応用した本が書かれたと聞けば、これはもう読まないわけにはいかない。
一読して驚嘆! そして興奮! これは経済学を学ぶ人々に向けて書かれた本の中でも最良の一冊ではないか。『物理数学の直観的方法』同様、経済学でつまずいていた所がクリアに理解できる。まるで魔法にかけられたようだ。
嘘だと思うなら「第1章 資本主義はなぜ止まれないのか」だけでも読むべし。ここでは鉄道のアナロジーで経済のサイクルが解説される。長距離輸送を行う大規模な幹線とローカル線のイメージの使い分けにより、読み進むうちに「投資と貯蓄は一致する」というマクロ経済学の基本が理解できることに驚くだろう。
「第5章 ケインズ経済学とは何だったのか」の絵解きもすばらしい。19世紀以来の経済学の興亡が、投資家層、企業家層(生産者層)、労働者層(消費者層)の3者の「同盟ゲーム」の変遷として明快に解説される。この説明のおかげで、なぜ近年になって金融の世界が脚光を浴びるようになったのかがよくわかった。またなぜマルクス経済学が長きにわたりマイナーな位置にあるのかも初めて理解できた(構造上、マルクス経済学はメジャーになりようがないのだ)。この3者の同盟ゲームの構図は、私たちが次の時代の「新しい経済学」を構想する際にも役立つだろう。
圧巻は「第8章 仮想通貨とブロックチェーン」である。著者はこれを「理系的な暗号技術」の話と「文系的な貨幣の話」に腑分けし、わかりやすく解説する。ここではなんと電卓片手に簡単なブロックチェーンを作成する体験ができる。この作業を通じて「ハッシュ関数」などを体感的に理解させる著者の鮮やかな手並みには脱帽するしかない。
さらにこの章では、仮想通貨というものの特性が、過去の金本位制と極めて似ているという重要な指摘がなされる。本書では金本位制の本質や弱点も丁寧に解説されているのだが、これを踏まえれば、自(おの)ずと仮想通貨の未来も見えてくることだろう。
最終章「資本主義経済の将来はどこへ向かうのか」は、コロナ後の資本主義の姿をイメージする上で必読。著者は現代の資本主義の行き詰まりの原因は「縮退」にあると言う。縮退とは何かにはここでは触れないが、著者は生態系に関する議論から、天体力学、古代ローマ史、囲碁まで動員して、閉塞感を克服するヒントを見出そうとしている。とにかくすばらしい一冊。本書がもたらす知的興奮を、ぜひ多くの読者と分かちあいたい。
※週刊東洋経済 2020年5月2日号