まさかなるべく家に引きこもってろと叫ばれる時代が到来するとは思わなかった。評者はどちらかと言えばインドア人間なのでそこまで苦ではないが、あちこち出かけて買い物したり映画を観たり飲み歩いたりするのが楽しみな人にとってはつらい日々だと想像する。このうえ毎日暗いニュースばかり流れてくるし、世界も日本も自分の生活もどう変容していくかわからないし、気が滅入る一方である。
そんな、自宅で余暇をどう過ごすか悩んでいる人もそうでない人もこの際ゆっくり分析してみてほしい娯楽(?)がある。夢である。将来の夢ではなく、寝ている時に見る夢のほうだ。
本書は、睡眠と夢の研究史をひもとき、我々の夜の旅の意味と効能を考察し、現実世界も豊かにせんとするポピュラー・サイエンス本である。著者はオックスフォード大学で考古学と人類学を専攻したジャーナリスト。あるとき、発掘調査で訪れたペルーの村で、友人から借りた怪しい自己啓発書に書かれていたとおりの明晰夢を見、夢の世界に魅惑されていったそうだ。……こう書くと眉に唾つけて読んだほうが良さそうに感じるかもしれないが、内容はいたって真面目なので、ご安心いただきたい。
まずは睡眠の重要性について書いておこう。言うまでもなく、人生の三分の一か四分の一は眠っている。睡眠不足は肉体・精神ともに悪影響を及ぼす。たとえば集中力、記憶力、判断力の低下。また、不安や鬱を増大させ、心臓病、脳卒中、糖尿病といった疾患のリスクを高める。
1959年、ピーター・トリップという32歳のDJが、チャリティのために200時間の不眠維持に挑戦した。すると、健康そのものだった彼は日を追うごとに正気を失い、言語不明瞭になり、重度の幻覚と妄想に支配されていった。201時間で実験は終了し、トリップはぼろぼろの状態でホテルに移り、13時間眠った。その後、あまりにも危険すぎるとして、ギネスブックから不眠記録は削除された。
十分な睡眠が健康維持に不可欠なのは誰しも認める事実だが、睡眠と関係が深いはずの夢の科学は最近まで存在しなかった。1953年、シカゴ大学の科学者ユージン・アゼリンスキーの研究で、人間は睡眠中、約90分周期で深い眠り(ノンレム睡眠)と浅い眠り(レム睡眠)を繰り返し、このレム睡眠時に夢を見ていることが判明した。しかし、夢の解析となると途端に問題が噴出する。第一に内容にとりとめがなく実証ができない。加えて、起きた直後は覚えていても、時間経過で薄れてしまい申告が難しく、実験の世界にはなじまない。
こうした理由から、夢は宗教的、神秘的な文脈でしか語られてこなかった。たとえば、古来の人々は夢を預言もしくは未来を映すものとして信じてきた。我々の遠い祖先が描き残した洞窟絵画は描き手の見た夢だという説がある。聖書やギリシャ神話には夢で神のお告げを聞く場面が多々見受けられるし、中世の日本文学には夢日記のようなものもある。また、夢を天啓として、重大な決断の理由に用いる政治家や指導者もいる。
夢で創作のインスピレーションを得たと語る芸術家も多い。ベートーヴェンやポール・マッカートニーは、夢のおかげでひらめいてつくった楽曲があると述べている。スティーブン・キングは、ある長篇小説の執筆に行き詰まり、不安な気持ちでベッドに潜り込んだところ、ゴミ捨て場の冷蔵庫から大量のヒルが飛び出して吸血されるという悪夢を見てヒントを得、その内容をそっくり作品に盛り込んだそうだ。
夢はこのように現状打破の端緒となる以外にも、人生の危機に対して備えさせる役割を果たすこともある。
大事な試験の前夜に、試験中大きなヘマをして混乱する夢や、遅刻してパニックになる悪夢を見たことはないだろうか。2014年にソルボンヌ大学で行われた研究によると、試験でトラブルが発生する夢を見た学生のほうがそうでない学生より成績が良くなったという。つまり、夢による悲観的予測の疑似体験が現実での安心感をもたらし、パフォーマンスを最大化させていると考えられるのだ(ただし、PTSD患者のようなトラウマを持つ人は、悪夢がそれをフラッシュバックさせてしまう場合があり、必ずしも良い効能ばかりとは言えない)。
ちなみに、試験に失敗する、空を飛ぶ、落下する、裸で人前に出る、歯を失うといった夢は古くから記録があり、世界共通のものである。このうち、歯が抜ける夢を見るのは、歯がなくなれば物が食べられず死ぬという太古からの恐怖を無意識に受け継いでいるからではないかとの説があり、なかなか興味深い。
著者は、数々の先行研究にあたりつつ、自らも夢の科学の最前線に飛び出していく。国際夢研究協会(IASD)の会合に潜入したり、VRを利用した悪夢克服プログラムを体験したり。極めつけは、明晰夢研究の第一人者スティーヴン・ラバージというマリファナ中毒の初老男性がハワイにて開催しているワークショップに参加し、明晰夢を見る特訓をする。このあたり、読んでいても怪しさ満点なのだが、著者のエッセイ風味の語り口が面白いので、ついつい引き込まれてしまう。
とはいえ、他人の夢の話ほどつまらないものはない。この本でも数多くの夢が参照されるが、やっぱり反応に困る。それでも著者は夢の魅力を力説する。
ほぼ毎朝、短い場面や印象から物語が生まれている。意識を失っていても私は生きて、感じて、行動しているという証拠を眺めるのは楽しいものだ。夢が日常に与える影響が大きくても小さくても、私は大切にしている。なぜなら、それは私が経験したことだから。たとえ忘れてしまっても、そのときは本物だから。
なぜ人は寝ているとき脈絡も整合性もない心像を見るのか。答えはまだない。だが、睡眠と同じく健康を保つためのシステムの一つとは言えそうだ。我々はもっと自分の身体を、そして脳を信じるべきなのだろう。日がな一日寝まくるのはさすがに不健康だろうけれど、このご時世、夢で戯れるのも一興ではないか。なにやら不思議な心強さをもたらしてくれる一冊である。