おおよそ世の中の中高年男性というのは、衣服を買いに行くのが苦手とちゃうんか。自分がそうだから、そう思うだけかもしれない。しかし、いつも買いに行くお店、たいがいが奥さん、あるいは、奥さんとおぼしき人と買いに来てるおっちゃんが多い。もちろん、わたしも妻についてきてもらう。
スーツやブレザー、パンツ、シャツ、思えば、ほとんどがその店である。特に似合うからとかいうより、他の店に行くのが慣れてない、という理由からだ。買う時も、さして考えるわけではない。気に入った色のがあれば、試着して買う。試着といっても、いろいろと試すのではなく、サイズがあうかどうかを確かめる程度だ。
お店の人にどのようなものをお探しですか、と尋ねられた時、同行者=妻の言うことは決まっている。皺になりにくくて、汚れの目立たないのがいいです。はい、そうですか。かくして、そこそこではあるが、まぁ、あくまでもそこそこでしかない身なりをしている。
あかん、それではあかんかったんや。『着せる女』を読んで目が覚めた。きちんと身に合った、シチュエーションにあった服を着たら、むっちゃかっこようなるらしい。なんと、顔つきまで変わるとか。ひょっとした性格も変わって、女が群がるようになるかもしれん。と、そこまではないかもしれんが、何しろずいぶんと違うらしい。
てっきり、著者の内澤さんが男たちのために服を選ばれるのだと思って読み出した。けれど、ちがった。初回をのぞき、実際に選んでもらうのはお店の人である。内澤さんは、顧客の要望、たとえば、どのような状況で着る服かとか、イメージとしてはタレントの誰それとか、を伝えるのがメイン。いわば介添人である。なるほど、男たるもの、自分でそういうことを細々伝えてはいかんと、おじいちゃんに教えられた。ような気がしないわけでもない。
もともと格好のいい男たちなら、あまり選び甲斐がない。しかし、幸いにも内澤さんの周りには、“着せ替え人間”にふさわしい男がうようよいた。なんでも、ファッション誌をのぞく出版業界には、「普通に似合う服を着ている人が大変少ない」らしい。
そんな中、栄えある一人目は、エンターテインメントノンフィクション作家仲間の宮田珠己さん。テーマはトークショーに着ていく服。その宮田さん、二十年以上前(!)に買ったというエメラルドグリーンに薄い灰色を混ぜてくすませた色のジャケットで、お店にやってきた。
堂々と現れた宮田さん。まさかここまでとはと、絶句したくなるダサさである。これじゃその辺に落ちてる服を着せたって、大変身できるじゃん!(中略)んなっ、宮田さんには好きな色があるのか。……いやいや人間だから当然か。しかも青緑ときたもんだ。ウミウシかよ。
いくら宮田さんがウミウシが好きだといっても、ここまで言わんでええやないのという書きっぷりだ。で、パパッと適当に選んで着せただけで、「一見まじめそうだけど、女子大生に人気の准教授」みたいになった。
しかしなんだろう、この快感、上手に原稿が出来たときのようではないか。ああ、メンズファッション楽しすぎる。もっと見繕いたい!ぎゃあああっ!
ださい格好をする男たちのBEFOREに対する強烈なダメ出しコメントと、AFTERにおける自らの陶酔感。この本の醍醐味はその大いなる落差にある。
で、二人目は、これまたエンタメノンフィクション仲間の高野秀行さん。宮田さんも高野さんもお目にかかったことがある。残念かどうかはさておき、宮田さんのスーツ姿は想像できる。いやしくも、元リクルート社員だし。しかし、高野さんとなると不可能だ。もちろん内澤さんのコメントは壮絶。
なにしろ高野さんは、宮田さんに勝るとも劣らない残念な服を着る男。フォーマルな格好は知らないけれど、カジュアルな服に関しては、いつ会っても訳がわからないというか、形容しがたい残念感と怪しさに包まれている。
形容しがたい残念感と怪しさって、これ以上というか、これ以下はないというかのコメントだ。その高野さんが『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞を受賞され、その式に着ていくための服を買いにいくことに。そこで、スーツ・ソムリエ鴨田さんに出会う。さすがはソムリエ、高野さんのビジュアルだけでなく、本まで読んで予習しておられたというからすごい。もちろん、スーツはドンピシャリ。
これがスーツマジック……。ふおおお、すごい。抱かれたい!抱かれたいですよ!高野さんに抱かれたい……
内澤さん、さっきまで言うてたことを忘れて、どこまで落差おっきいんですか…。同伴していた本の雑誌社の編集・杉江さんも壊れてしまって、両目に星が入っていたらしい。二人とも、大丈夫ですか。これでパワー全開になり、つぎは、宮田さんアゲインでテレビ出演用のスーツを買いに。ここでまた鴨田さんが登場。当然、素晴らしいチョイスを決めてくださる。その前に、内澤さんと杉江さんが宮田家のワードローブをボロクソに言うのはあんまりの内容なので割愛。
店員さん以外にも、自分を良く知る介添人がいないと、似合う服に辿り着けないとは、なんとも不自由な話である。
そうそう、そうなんよ。だから男は服を買うのが下手なんよ。こうして内澤さんは、男に『着せる女』としての悟りをひらく。以後、杉江さん、本の雑誌社・編集長の浜本さんらの服選びに次々と同伴して、どんどん腕をあげていく。下の写真は、高野さんと宮田さんの変わりよう。確かに姿勢や顔までちゃいますね。ちなみに、内澤さんご自身のBEFORE、AFTERも本にございまして、見てのお楽しみ。さすがは着せる女、なかなかのもんであることを申し添えておきます。
内澤さん、えらそうに言うてはるわりに(スミマセン…)、最初は男子洋装の知識がかなり乏しかった。しかし、それもずいずいと身につけていかれる。読んででいると、こちらも並行してメンズファッションの知識と勘所がぐいぐい身についていく(ような気がする)。いやぁ、痛快なだけじゃなく、実用にもなる素晴らしい本でしたわ。今度、服を誂えるときは、内澤さんにお願い申し上げて、ついていってもらおうかしらん。何を言われるかと思うと、ちょっと怖いけど。
写真は、本の雑誌社『着せる女』から。撮影は齋藤圭吾氏。
内澤旬子さん、以前は『捨てる女』でした。レビューはこちら。
高野さんの大出世作。レビューはこちら。
宮田さんはけったいなもんが好きである。
同上。レビューはこちら。