探偵と聞くと、即座にユニークな名探偵たちの姿が思い浮かぶ。明晰な頭脳と驚異の観察眼を持ち、ヘビースモーカーで薬物中毒でもある世界一有名なあの顧問探偵。同じく英国発で灰色の脳細胞が自慢の小男。日本発ならボサボサの蓬髪に形の崩れた帽子を被りよれよれの着物を着た清潔感のない中年男、等々。
だが、悲しいことに彼らは架空の人物だ。実際のところ、街角で探偵社のポスターやチラシを見かけたことはあっても、探偵業とはどのような職業でどんな仕事をしているのか、具体的に知っている人は少ないのではないか。本書は、2003年に総合探偵社の株式会社MRを設立し、売り上げ業界日本一を獲得した女性社長が書き記す、謎のベールに包まれた探偵業の奥深き実状である。
さて、現代社会で探偵に多く舞い込む依頼は犯罪捜査……ではもちろんなく、不倫調査だ。驚くべきことに著者の探偵社にやってきた不倫調査相談は設立当初から数えて約26万件、全体の77%を占めるという。それゆえに本書の内容もほとんど不倫調査の実態紹介に割かれている。裏タイトルはさしずめ「日本の不倫現場ノンフィクション」であろうか。
男女間のドロドロ醜聞には人間の暗部が詰まっている。たとえば、探偵たちが実際に直面したケースとして、初っぱなからこんな話が語られる。
依頼者は40代後半、「品行方正な山の手の奥様」風の専業主婦サワコさん(仮名)。職場恋愛で結婚し、3人の子供に恵まれ、幸せな家庭生活を営んできた。
しかし最近、経営コンサルティング会社に勤める夫の様子がおかしい。平日の帰りが午前様で、三日四日と地方出張で家を空ける日も増えた。思い起こせば結婚前、同僚から忠告を受けたこともあった。白黒つけるため、思い切って依頼したのであった。
半年に及ぶ調査によって、この夫、なんと6人もの愛人をつくっていたことが判明する。一人は20年来、サワコさんとの結婚前からの女性。熱心に通っている社会人コーラスサークル内で、40代の独身OLと、30代の既婚者女性の2人。さらに20代の風俗嬢の愛人が3人。しかも、これだけ多くの関係を保つには当然お金が必要だから、夫は投資を繰り返して、隠し財産として二棟のマンションを所有していたのだ。
黒どころか真っ黒だった夫の調査結果を知り小さな悲鳴を上げて泣き崩れるサワコさん。数ヶ月後彼女は離婚調停に入り、慰謝料と財産分与として二棟のマンションを受け取り、風俗嬢以外の不倫相手3人に対して損害賠償請求を行った。なんともまあ色々と規格外である。
こうした強烈なエピソードを読むだけでも背筋がぞくぞくするが、本書においてはまだとば口に立ったばかりだ。
不倫調査は、まさに人間模様、複雑な感情の坩堝といっても過言ではなく、調査する探偵たちにもタフな精神力が求められます。
というわけで、著者が自社の社員たちにヒアリングした探偵苦労話も読みどころである。
依頼者が男性で、妻を尾行することになったが、デパートの婦人下着売り場でウィンドウショッピングするもんだから店員に怪しまれた。ラブホテル前で指名手配犯を追っている警察と鉢合わせした。調査対象者の住むマンション外に張り込みをかけたものの夫は全く外出せず、シロかと思われたが、ある探偵の機転で、愛人がマンションの同フロアにいることを突き止めた。満員電車で調査対象の夫が痴漢を始めたと思ったら、実は痴漢されていた女性が不倫相手で、そういうプレイを楽しんでいるだけだった……。
合間に挟まれる探偵業界の裏データや仕事ノウハウなんかも面白い。たとえば、著者が会社を立ち上げた2003年当時、不倫・浮気調査依頼者は女性が圧倒的多数が、女性の社会進出が進むにつれて男性の依頼も増え、現在ではおよそ4割が夫からのものだという(なお、男女問わず半数以上が会社内に不倫相手をつくっている)。出会いが増えれば誘惑も多くなることについて特に性差はないのだった。
また、探偵業務は「探偵業法(正式名称:探偵業の業務の適正化に関する法律)」によって規定されており、「聞き込み」「尾行」「張り込み」によって得た情報を依頼者に報告することは法的に容認されている。プライバシーの侵害にはあたらないのである。無論、個人情報を調べる以上、探偵は犯罪とは無縁で高いコンプライアンス意識を持つ社会的常識人であり、死ぬまで守秘義務を貫ける人物でなくてはならない。
加えて、個性的で目立つ人はまず探偵に向いておらず、人混みですぐ居所不明になるくらい平凡で存在感のない人間が望ましい。ちなみに近年では、張り込みや尾行は体力仕事になるので男性向きだが、聞き込みは女性のほうが相手の警戒心を解きやすいとの理由から女性探偵も急増しているそうだ。
他にも、高齢化に伴って60代以上のおじいちゃんおばあちゃんからの依頼も増加の一途だとか、夫は奥さんより容姿が劣る女性と不倫しているケースが8割に及ぶ、等々、暗い興味を呼び起こすトピックがまだまだ目白押しだ。が、それは本書を読んでのお楽しみとしておこう。
おぞましい難事件も天才的な名探偵も出てこないけれど、社会の影に紛れるインモラルで奇々怪々な男女と、彼らを静かに追跡する探偵たちは確かに存在する。