新型コロナウィルス禍によって東日本大震災3.11の政府主催の追悼式は中止となり、総理官邸での献花式が行われた。被災した各地方での追悼式も規模の縮小などを余儀なくされ、震災から9年目のこの日は、それぞれの胸の中であの日を思い出していた。
東北学院大学教養学部地域構想学科、金菱清ゼミナールによる震災の記録ブロジェクトから出版された震災関係の本はこれで10冊目になるという。自らも被災者である学生たちが、何らかのテーマを決めて同じ被災者へインタビューを行う、というプロジェクトは継続することがいかに大切であるかを教えてくれる。
今回のテーマは「行方不明」。東日本大震災ではいまだに行方不明者が3739人(2020.3.11 NHKニュースより)いるという。この大震災では生者と死者をはっきり分けることは難しく、生物学的な死とは異なる観点から捉え、行方不明者は生者と死者の中間項にいると考えた。
それはある一人の女子学生からの問いから始まった。
私のお父さんは、震災でいまだ行方不明だけれども、果たして本当に亡くなったのだろうか。他の行方不明者家族も私と同じような思いを持っているのか知りたい
もう9年近くも遺体が見つかっていないのだから亡くなったのだろうと、誰しも思うだろう。しかし行方不明者の家族は亡くなったことを断定する証拠がなければ、一縷の望みを持たざるを得ず、思い切れない苦しみを継続している人も多い。家族療法家のポーリン・ボスのいう「曖昧な喪失」のなかにいまだにいる。
本書は12章プラス特別寄稿で構成されている。
家族が行方不明の上、福島原発の爆発によって避難区域に指定され、地区全体がバラバラになってしまった女子学生は故郷が行方不明になってしまったと語る。民俗芸能の踊りを残そうとしても気持ちが付いていかなかったが、2018年に毎年踊っていた地元の神社跡地で踊った際、当時の日常が蘇えり、それには行方不明の父親の姿も想起され「楽しい」という感情しかなかったという。
津波と原発事故によって全く風景が変わってしまっても、海と深く関わる漁師たちは故郷の記憶が風化しない。その理由を探る。
行方不明者と家族との関係もそれぞれ違う。割り切れず葬儀は行わなくても供養だけはする人、お墓にはまいらず名前を刻んだ慰霊塔に手を合わせる人、地域全部が被災し行方不明者も多い場所では積極的に話すことで心が和らいでいった人、僧侶など宗教関係者の家族が行方不明の場合の地域とのかかわり、7年半後に妻の遺体が見つかった男性の気持ち、原発の爆発によって農業や畜産など土地とともに生活の基盤を失いつつ、それでも希望をつなごうという人たち、など、学生たちがじっくりと話を聞くことによって、初めて明らかにされたであろうと思う事柄ばかりである。
その中に雁部那由多という忘れがたい名前を見つけた。彼は発災当時の記憶を伝える「語り部活動」をしていて2016年に『16歳の語り部』という本を仲間とともに著している。彼が取材したのは「震災の記憶と感情の行方不明」。小学生で被災し三日間学校内にとどまった二人の女性が、無事だった家族と再会した後に起こったのは、感情を押し殺すことだった。苦しかった経験を家族に語ることができないことで、被災時の記憶が無くなってしまったというのだ。
それを取り戻したほうがいいのか、それとも捨て去ってしまってもいいのか、選択は個人に任される。風化されることを危惧することが声高に叫ばれているが、あえて記憶を呼び戻さないという選択肢もあることを、この章は教えてくれた。
来年は震災から10年目という大きな節目を迎える。このプロジェクトも幼くて記憶にない学生たちに引きつがれていくのだろうか。死者・行方不明者と一般には一緒に語られる被災遺族たちの気持ちを繊細に聞き取った学生たちに拍手を送りたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
HONZで紹介されたこのプロジェクトの本