「昔よ、もう一度」とノスタルジーに浸っていては、革新は生まれない。過去よりも未来を知りたいという意見も、もっともだ。だが、1930年代生まれ、卒寿に近い方々に「思い出に浸るな」というのは酷だろう。むしろ、人生100年時代が現実になりつつある今、回顧に回顧を重ねる本書は「超高齢者による高齢者向けの書籍」という新たなジャンルを拓(ひら)く一冊になるかもしれない。
芥川賞を受け、時代の寵児になり、東京都知事も務めた作家の石原慎太郎氏と、同時代を生きた文芸編集者である坂本忠雄氏。対談形式で、昭和の文壇、戦後社会などについて語り合う。
三島由紀夫、川端康成、小林秀雄、大岡昇平など大御所の秘話が次から次に明かされるのが読みどころの1つだ。
例えば、ノーベル賞作家の川端康成と、石原氏のよき理解者だった三島由紀夫の関係が興味深い。川端は三島の切腹の現場で生首を見てから、時々家で、「三島君が来たよ、扉を開けてあげなさい」などと訳のわからないことを言うようになって、最後は自殺してしまったとか。その川端は生前、石原氏に「あ、三島君はダメです。あの人には絶対ダメです。絶対ダメです」と唾棄するように三島の作品を否定し、石原はそれを仲のよい三島に伝えるべきか悩んだという。
大江健三郎氏はバーで気取って石原氏のヨット仲間にフランス語で話しかけたら、相手のほうがフランス語がうまくてペラペラ返され、理解できなかったとか。大江氏は恥ずかしさのあまり、コートも忘れて足早に店を去ったというから、後のノーベル賞作家の意外な一面も知れる。
自身の作家生活も回想する。芥川賞受賞作「太陽の季節」は2晩で書き上げたが悪筆のために清書に3日かかり、編集者に「邦文和訳」と呼ばれたという。
そして、海外の有力出版社からオファーがあったにもかかわらず、ことごとく無視していたことは少し悔いる。「少なくとも大江とか村上春樹とかよりもずっとすごい、国際的な地位を得ていたと思うんだけど」と87歳でも石原節は健在だ。
5つの対談に通底するテーマは「死」。笑えるようなエピソードをちりばめながらも、多くの作家に見え隠れする死の影への言及は鋭い。
石原氏にとっても死は常に隣り合わせだった。戦中体験や父や弟の死、三島や同級生だった江藤淳の自死。虚無に抗(あらが)いながらも「最後の未知」として死を語る姿には、一世を風靡した作家の感性を見ることができる。
語り合う内容は社会や政治の劣化にまで及ぶ。単なる懐古主義か、大切な何かが失われたと捉えるかは後の歴史が決めることだが、石原氏は繰り返す。「みんな死んじゃった」。あまりの嘆きっぷりに、慎太郎ファンでなくても少しばかり心配になる。
日本人の平均寿命は男性81.25歳、女性87.32歳(2018年、厚生労働省調べ)。最近は過去最高を更新し続けている。老いとどう向き合うかは誰もが逃れられない課題だ。本書を老人のぼやきと受け止める向きもあるだろうが、いつかは我が身として、老いの先達の言葉に耳を傾けるのも悪くない。
※週刊東洋経済 2020年3月14日号