あの日、あなたはどこで何をしていただろうか。
2011年3月11日、福島県双葉郡では、多くの学校で卒業式が執り行われた。子どもたちは通い慣れた校舎に名残惜しさを感じながら、未来への希望に胸を膨らませていたに違いない。だが14時46分、巨大地震がこの地を襲った。
本書は、双葉郡の消防士たちが初めて「あの日」について語ったノンフィクションである。震災について書かれた多くのノンフィクションの中でも出色の一冊だ。
本書の優れている点。それはプロフェッショナルの証言に基づいているところだ。私たちは現実を見ているようで、案外見ていない。事故現場の取材で目撃者に話を訊くと、「とにかく驚いた」とか「ドカーンと音がして気がついたら倒れていた」とか、目の前で起きたことを描写するのではなく、単なる感想や擬音で雰囲気だけを伝えるケースがよくある。無理もない。私たち素人は、想定外の出来事を前にすると動転してしまうのが普通だからだ。しかしプロは違う。冷静に細部を見ている。素人に比べ、プロフェッショナルの証言は、圧倒的に解像度が高い。
だから巨大地震が発生した瞬間の光景も、プロの消防士たちの証言によってくっきりと浮かび上がる(以下、消防士の年齢と所属は東日本大震災発生当時のもの。敬称略)。
福島第一原発から10㎞圏内に双葉消防本部の浪江消防署と富岡消防署がある。志賀隆充(36歳・富岡消防署予防係主査)は、富岡消防署内で緊急地震速報を耳にした時、「また鳴ったな」と思ったという。数日前から緊急地震速報の空振りが続いていたからだ。だがその瞬間、血の気が引くような揺れに襲われた。とっさにテーブルの下にもぐり四つん這いになった。
一方、若手の工藤昌幸(23歳・富岡消防署救急第一係)の体は、緊急地震速報を聞いてすぐ、すべり棒に向かって動いていた。揺れ始めで素早く下りると、消防車にエンジンをかけ、車庫から出した。車庫がつぶれると出動できなくなるからだ。車体は倒れそうなほど揺れていた。
この時、志賀はテーブルの下で冷静に数をカウントしている。地震の多くは1分以内で揺れがおさまるからだ。揺れ始めて45秒ほどでおさまり、終わる、と思った瞬間、再びドン!と強く突き上げられた。通路に土煙が立つのを確認した。天井が崩れたのか。60秒をはるかに超えたところで、数えるのをやめた。「うそだろう」と思った……。
こうした細やかなディテールの描写が本書の随所で光を放っている。読みながら思わず感心したのは、漁港で救助活動を始めた志賀の証言だ。住民から「おじいちゃんが流されている」と情報がもたらされ、駆けつけると、畳一枚の上に正座した状態で、高齢男性が瓦礫の上に流れ着いたところだった。志賀は「じいちゃん、無事でよかった。『笑点』みたいだな」と声をかけ救助したという。極限状態の中、ふと現れたユーモラスな瞬間。こういう場面は、映画やドラマの脚本家は絶対に思いつかないだろう。現実は私たちの想像をはるかに超えている。
第二波、第三波と津波が押し寄せる中、消防士たちの決死の救助活動が続けられていた。だがこの時、別の危機が同時進行していた。15時42分、双葉消防本部は、東京電力から「一〇条通報」を受けた。原子力災害特別措置法第一〇条に基づくもので、原発で基準値以上の放射線が検出されたことを意味する。ところがこの通報からわずか1時間後の16時45分、「一五条通報」がなされた。「一五条通報」は、原子炉をコントロールできていないことを意味する。志賀はこの時、「何かの間違いだ」と思ったという。一〇条から一五条までがあまりに早すぎる。しかも一五条は、内閣総理大臣がただちに「原子力緊急事態宣言」を発する非常事態を意味していた。
原子力災害時における双葉消防本部の役割は、住民の避難誘導と避難広報である。一方で津波の救助作業もあった。志賀は「避難誘導よりも、救助活動をしましょうよ。『七十二時間』までまだ時間がある!」と上司に掴みかかった。上司は涙をにじませながら「優先すべきはこっちだ」と返す。修羅場である。この時、職員たちの頼みの綱は「緊援隊」だった。緊援隊(緊急消防援助隊)は、被災地の消防力だけでは対応が困難な大規模災害の発生時に、全国の都道府県から消防職員が応援に駆けつけることだ。ところが、第一原発から10㎞圏内に屋内退避指示が出たことで緊援隊は足止めを食らう。津波と原子力災害の発生。未曾有の危機を前に、双葉郡の消防士たちは完全に孤立してしまったのだ。
「孤塁」とは、敵陣の中にただひとつ残る砦である。双葉郡の消防士たちは、人類が初めて経験する非常事態に直面していた。彼らの証言からは、当時の絶望的な状況が伝わってくる。
12日15時36分、富岡消防署に戻った猪狩拓也(27歳・救急第一係主査)は、「ドーン」という音を聞いた。窓がガタガタッと小さく揺れた。浪江消防署の佐藤圭太(37歳・消防本部総務課総務係主査)も同じ音を耳にした。外を見るとキラキラと細かい粒子のようなものが見える。「何か降ってきた。ヤバいぞ……!」福島第一原発の一号機が爆発したのだ。
次から次に想定外の事態が襲いかかる。一号機に続き三号機も爆発。「爆発音!」「撤退!撤退!」と無線が途切れ途切れに聞こえてくる中、ある職員は涙をこらえながら患者を搬送し続けた。忘れてはならないのは、彼らも被災者であるということだ。家族はちゃんと避難できただろうか、どうか無事でいてくれ、そう祈りながら職務を遂行している。「こういう時に消防士は家族を守れないんだな……」という言葉に胸を衝かれる。
消防士の証言から、当時彼らが死と隣り合わせの状況に置かれていたことがよくわかる。地元では原発事故は「起きない」と繰り返し説明されてきた。だがいったん事故が起きると、なし崩し的に消防士たちが危険な任務を担わされた。爆発したばかりの原発の近くに何度も出動し、原子力防災訓練ではまったくやったことのない冷却水の給水活動まで行なっている。「きっと特攻隊はこうだったのだろうと思った」という証言が重く響く。
世間には、福島第一原発にとどまり事故対応にあたった東京電力の一部の職員を英雄視する向きもある。彼らの努力を軽視するつもりは毛頭ないが、ヒロイズムの文脈でとらえることには抵抗感を覚える。事故には、安全対策を怠っていた人災の側面もあるからだ。
著者は「小さな声」に耳を傾け続けて来た誠実な書き手である。著者の真摯な姿勢が通じたのだろう、本書では双葉消防本部で当時活動していた125名のうち、66名がインタビューに応じている。ある若い消防士は「自衛隊やハイパーレスキュー隊のことは報道されたが、双葉消防本部の活動だけが報道されず、誰にも知られていなかったことがつらかった」と涙を流したという。
政府は、東日本大震災から10年を迎える2021年を節目に、政府主催の追悼式を取りやめる方針を明らかにしている。与党関係者によれば「オリンピックもある中、政府の負担になっていた」というのが本音らしい。
どうやら国は、一日も早く「あの日」のことを忘れさせたいようだ。
だがそうはいかない。本書を開けば、命がけで任務に当たった消防士たちの言葉が、あの日のことを鮮やかに甦らせてくれる。彼らの思いは、読者に確実に伝わるはずだ。この本が読み継がれる限り、「あの日」が忘れ去られることはない。一冊の本が持つ力を、舐めてはいけない。
「復興」の掛け声の中で忘れられている人々がいる。
この本を読むと、オリンピックのから騒ぎが空しく思えてくる。