最初にパソコンを買ったのは1997年のこと。Windows95の発売で一般家庭でもコンピュータを持つことが普通になった。インターネットもダイアルアップで繋ぎ、ジリジリという音を聞きながら画像が出てくるのを待った。
思えばわずか20年ほど前のことだ。今では当たり前に手の中にスマホがあり、気になることはググれば済む。むしろ携帯を忘れると心細くてたまらない。若い世代がスマホ中毒になるのもむべなるかな、である。
『2050年のメディア』は著者の下山進が文藝春秋に入社した1986年から、慶應大学湘南藤沢キャンパスでこのタイトルの講座を持つまでの32年間をベースに、新聞とインターネットと、その他のメディアの栄枯盛衰を辿る記録である。
序章で2018年正月の賀詞交換会で、読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡邉恒雄が「読売はこのままではもたんぞ」という言葉を放ったことが紹介されている。2001年に1028万部を誇った読売新聞は、その後873万部まで後退した。いまだに社内に大きな力を持つ大正15年生まれの渡邉恒雄のこの発言は過去の栄光を忘れられないだけのものだったのだろうか。
実際、新聞の宅配は激減している。本書でも小学校の授業で新聞の切り抜きを使った授業ができなくなったという教師の話が出てくる。小中学生の時、社会科授業の時に持ってくるように言われた記憶があるが、今はそれも無理なようだ。メルカリを見ると古新聞が1キロ300円で売られていた。
もちろん新聞が売れない大きな理由はインターネットの発達が大きな要因であることは間違いない。その嚆矢は1984年。慶應大学と東工大、そして東大のコンピュータを繋げたことから始まった。
拡大したのはWindows95の発売後、米国ヤフーに交渉してヤフージャパンを設立した96年4月以降になる。2000年代に入ると、ほかの検索媒体に大きく水をあけ、漫才のネタになるほど急成長する。
新聞社の模索は混迷を極めた。インターネットと敵対するのか、共存するのか。ITに乗り遅れた年代の抵抗は大きく、その壁を乗り越えるための戦いは熾烈で、多くの企画は失敗に終わっていく。
続いて起こるのは携帯電話、そしてスマホの拡大だ。加えてWi-Fiが登場したことも大きい。どこで何をしていても世の中のだれかと繋がっている、分からないことはググればいい。個人情報の機密は叫ばれても、簡単に情報に手が届く。
古い体質の新聞社では、いまだに年功序列が横行し、人事のつぶし合いが行われている。ネットとの競合において、どこから資金を求めるのか、どのように新聞媒体を存続させるのか、この数年で大きな変革が起こりそうだ。
本書を通読して思うのは、カリスマの存在だ。新しい業態が起こるとき、そこには天才と努力の人の二輪が必要になるのは、時代が違っても一緒だろう。果たして2050年までにどのような人材が現れるのだろうか。(ミステリマガジン2,020年3月号)