『しらふで生きる 大酒飲みの決断』生きることは寂しい、だからこそ酒を断つ

2019年12月14日 印刷向け表示
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しらふで生きる 大酒飲みの決断

作者:町田 康
出版社:幻冬舎
発売日:2019-11-07
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30年間毎日欠かさずに酒を飲み続けてきた作家、町田康の断酒エッセーである。こう書くと酒をやめて健康になった暮らしぶりを健やかにつづったエッセーを想像してしまうが、決してそんな生易しいものではない。

その証左としてまずは目次からいくつかの見出しを引用してみよう。〈飲酒とは人生の負債である〉〈私たちに幸福になる権利はない〉〈「私は普通の人間だ」と認識しよう〉〈「普通、人生は楽しくない」と何度も言おう〉〈「自分は普通以下のアホ」なのだから〉と畳みかけてくる。目次の時点で強烈なジャブを食らわされる。

そもそも著者はなぜ酒をやめると決断したのだろうか。何しろ自他共に認める大酒飲みで、古代の政治家・歌人・酒飲みである大伴旅人と、彼が詠んだ「酒を讃(ほ)むる歌十三首」のみを信じて酒を飲み続けてきたような男なのだ。当然読者が気になるであろう、この問いに対する著者の答えは「気が狂ったからである」というものだ。納得できるようなできないような。とまれ、断酒とは容易な道ではない。著者の言葉を借りれば「飲みたい、という正気と飲まないという狂気の血みどろの闘いこそが禁酒・断酒なのである」となる。

これほどまでに酒を渇望する男が断酒にあたり最初に己に問うたのが、なぜ人は酒を飲むのかである。答えは「楽しみたいから」。しかしなぜ楽しみたいのか。人が楽しみを求めるのには不満感や不公平感があるからではないか。

楽しむ権利が不当に奪われていると思うがゆえに、手っ取り早く酒で幸福を取り戻そうとするのだ。だが人には本当に幸福になる権利などあるのか。あるのは幸福を追求する権利だけではないか。

そもそも幸福とは苦しみとイコールの関係だ。幸福だけで、苦しむことがなければ、それは普通の状態だからだ。そして酒から得る幸福は一瞬で消え、その後には泥酔のために引き起こされる負債がついてくる。そして帳尻を合わせるためにまた酒を飲み、大きな負債を抱える。そう、目次にあるように、飲酒とは負債なのだ。

ではなぜありもしない権利を、私たちは持っていると錯覚するのだろうか。それは私たちが自己を認識するとき、どうしても自惚(うぬぼ)れるからで、「自分は平均よりも少し上」と考えているのだと喝破する。すると人は常に現在の境遇に不満を持ち、優秀な自分が持つべき幸福権を侵害されていると錯覚する。

つまり断酒のためには自己認識を改造することが必要だと著者は結論づける。私たちは普通の人間で、普通の人生は楽しくないものなのだと。だが、これだけでは絶対的な断酒は不可能で、より歩を進め「自分は普通よりもアホ」なのだと自己を認識すべきだとする。極端な気もするが、読み進めるうちに妙に納得してしまうから不思議だ。

酒ひとつを断つために、自らと向き合い、果てはまるで仏教思想に通じるような「断酒思想」を完成させた町田康には絶句させられる。現在、著者は4年間、一滴も酒を飲んでいないそうだ。酒を飲んでも飲まなくても人生は悲しい。ならば飲まずにその悲しみを味わおう。そう語る著者に古(いにしえ)の賢人の横顔を見る。

 ※週刊東洋経済 2019年12月14日号

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