日曜日に決勝が行われた野球の世界大会「プレミア12」は、ライバル韓国を下した日本の優勝で幕を閉じた。いよいよ本格的にオフシーズンが始まる。夏の甲子園期間に刊行された本書にもうひとつ読みどきがあるとしたら、まさにこの総括の時期がふさわしいといえるだろう。
「プレミア12」での侍ジャパンの戦いぶりは、言うまでもなくすばらしかった。辞退者やケガによる離脱で必ずしも最強メンバーとはいえない布陣ながら、要所で打線が奮起。投げてもリリーフ陣を中心に、最後まで崩れることなくゲームを展開した。
その上で、大会の盛り上がりという意味では厳しい面があったのも事実。特に目立ったのが、観客動員の苦しさだ。終盤2試合の日韓戦を別にすれば、東京ドームでも連日空席が目立った。米国代表にメジャーリーガーがいっさい参加しないなど、大会自体の格の問題もあるだろう。だがもっと根本的な課題として指摘されているのが、野球人気の低下だ。
本書がいま読むとより一層味わい深くなる理由も、このあたりにある。中南米諸国から優秀な選手が次々に輩出される理由を徹底取材で明らかにした『中南米野球はなぜ強いのか』(首藤のレビュー)などで知られるスポーツライターの著者が、多くの証言と数字にあたりながら、野球界の実態と真の課題を解き明かしていく一冊だ。刊行から時を経て野球ファンにはある程度広まったと思われるが、いよいよ説得力が増したこのタイミングで、さらに広い方面に読まれてほしい。
意外かもしれないが、プロ野球の観客動員は年々右肩上がりに伸びている。まずはこの点を押さえておきたい。今シーズンも史上最多を更新し、NPBの発表によれば2653万6962人が球場に詰めかけた。カープ女子を思い浮べる人も多いと思うが、実は2000年代からパリーグを中心にファンビジネスに力を入れる流れが加速したのが契機である。他にもプロ以外でいえば、夏の甲子園の観客数が過去最高を記録したのも、つい昨年の100回記念大会だ。野球人気をたしかに示すかのような数字を見つけるのは案外難しくない。
ここで大事なのが、野球を「する」人と「見る」人にきっちり分けて考えること。すると浮かび上がるのが、野球を「する」人口の減少だ。何も手を打たなければ、将来的には「見る」も先細りするのは間違いない。根深い問題である。
地域によって差はあれど、野球ファンの平均年齢と言われる40代が子どもだった頃は、ボール遊びができる場所がまだまだ身近にあったはずだ。野球部に入っていなくても気軽に「する」経験を積める環境が「見る」層のボリューム増を支えていたことは想像に難くない。カジュアルに「する」機会が減ったいま、野球は部活やクラブチームに所属して「わざわざ」やるものになっている。著者の言葉を借りれば、野球の「習い事化」が進行しているのだ。
この影響が如実に表れているのが、軟式野球の世界。転換点として挙げられている2010年から2018年までの中学校の男子部員数の変化を見ると、軟式野球については29万人から16万人へと大きく減少した。これは他のスポーツと比較しても速いペースである。小中学生全体の人数が減る中でも、サッカーやバスケ、バレーなどでは減少幅が比較的緩やかだ。
近年は軟式でも、学校の部活ではなくクラブチームに入る子どもたちが増えた。硬式野球についていえば、競技人口は横ばいで推移している。こうした「習い事化」の進行は、同時に「二極化」も引き起こす。私立の強豪校が何年も連続で県予選を突破し、甲子園でも上位に食い込むケースが増えた背景にもこんな事情がある。二極化は「みる」の面でもキーワードだ。ここ10年ほどでプロ野球中継が地上波からBSやネットの世界へすっかりシフトしたことも、まさに同じ潮流の中にある。一連の流れが示すのは、シンプルにいえば野球の「マイナー化」に他ならない。
外部環境の変化それ自体は、もちろん野球だけの話ではない。出遅れた背景には何があるのか。著者は野球界の構造的な問題に切り込みながら、その理由を解き明かしていく。最大の原因は、プロ・社会人・大学・高校・少年野球といった分野ごとに運営組織や支援団体が分かれていること。日本サッカー協会のような統一組織が、野球界には存在しない。
もちろん一本化されることのデメリットもあるが、業界一丸となって改革に取り組む上では、身動きが取りづらいため不利になる。少年野球の競技人口減を「たいした問題じゃない」と一笑に付したプロ球団のオーナーの話が書かれているが、同じ課題を共有することすら難しいのが現状なのかもしれない。
それぞれの世界にどんな問題があるのか、個別の状況はぜひ実際に読んでたしかめてほしい。学童野球の構造のいびつさなど、プロや高校野球と比べて報じられにくい部分にもスポットが当てているのが印象的だ。
学童野球は全国規模の運営組織が2つあり、加えて地元企業や商店の主催による大会も各地で開催される、まさにバラバラな運営構造になっている。別の「縄張り」の大会には出られなかったり、逆に出たくない試合でも付き合いのために出場しなければならなかったりする。大人の事情に子どもたちが翻弄される様を見て「学童野球こそ、日本野球界の最大の闇」とこぼす指導者も少なくないと著者は書く。
ルールがわかりにくい、「投げる・捕る・打つ」動きが難しいなど、そもそも野球は初心者からすればとっつきにくい競技である。そこに敬遠される理由を積み増し続けていては、10年後か20年後か、いよいよ手遅れになる時がくるだろう。同じ強豪国でも、韓国では人数比からして圧倒的に「する」より「みる」スポーツとして根付いている。これからは「みる」を伸ばす方向に集中するのも、もはや一手かもしれない。いずれにしても、構造が変わらない限り、どの方向にも思い切って舵を切れないことだけはたしかだ。
野球というフィールドを通して「メジャー」が「マイナー」へと変化していくプロセスを追った一冊ともいえる。その過程で何が起こるのか、どんなところに兆候が出るのか、手を打たないとどのような状況が訪れるのか。読み方しだいでスポーツ以外にも応用できるだろう。それが手に取りやすいコンパクトさでまとめられたことに意味がある。書き手の思い入れが入り込みがちなジャンルでありながら、比較的冷静な視点で書かれているのも貴重だ。
まずは「意思ある個人」の行動からしか変化は始まらない。著者はそう強調する。限られた資源の中、工夫をこらして結果を出し、旧来の価値観を現場から覆していく指導者の存在には勇気づけられる。本書をひと区切りに、未来を憂うのではなく、作り出そうとする人々にスポットを当てる流れがきてほしい。いまも草野球などで「する」楽しみに触れる一人として、著者が「意思ある個人」の取り組みを一冊にまとめる日が来ることを心待ちにしている。
栗下のレビュー