著者のウォルター・アイザックソンは評伝の名手だ。これまでにもアインシュタイン、スティーブ・ジョブズ、レオナルド・ダ・ヴィンチといった歴史に名を残す天才たちの生涯を、独自の視点から描き出してきた。
しかし本書は、これまでの彼の作品とは一味違う。何といっても登場人物が220人を超えるというスケール感だ。チューリング、ENIACでのプログラミングを扱った6人の理系女性、アラン・ケイ、ショックレー半導体研究所を抜け出した8人の反逆者、ティム・バーナーズ・リーなど。多種多様な生きざまをつなぎ合わせて見えてくるのは、コンピューターがいかにして今日までの発展を遂げたのかというデジタル革命史である。
本書で最初に登場するのは、エイダと呼ばれる英国の伯爵夫人だ。19世紀に詩人の父と数学好きの母との間に生まれ、ロマン主義的科学を愛した人物。その功績は、彼女が翻訳した論文に付記された注釈にある。それは、現在のデジタル時代の中核概念になったと言われるほどのものであった。多目的機械という概念、演算の定義、アルゴリズムの仕組みとさまざまだが、最も注目すべきなのは、そこに「機械は思考できるか」という問いかけがあったことだ。
本書がエイダの紹介から始まる理由も、ページをめくるにつれて理解できてくる。デジタル時代のイノベーションは、それ以前にさまざまなところに偏在していたアイデアの拡張が基盤にあるのだ。
さらに、イノベーションが起こる条件として争点になりがちなことがらを、人物評を通して紹介していく。例えば、創造性に富む個人と、アイデアを実現する力のあるチームのどちらが重要なのか。
答えは「両方」だ。それは、トランジスタを発明したベル研究所の例からもわかる。手先の器用な実験家ウォルター・ブラッテン、量子物理学者ジョン・バーディーン、固体物理学の専門家ウィリアム・ショックレーという情熱にあふれた3人の研究者が同時期に揃(そろ)っていたことが、イノベーションを可能にした。
また、シリコンバレー特有の企業文化と管理スタイルを生み出したと言われるインテルも、外向きの人、内向きの人、実行する人と称される3人のコラボレーションによって時代を切り開いたのだ。
いずれにしてもコラボレーションが重要というのが本書に通底するスタンスだが、仮にそれが得意でなくても十分にやっていけるWeb時代の到来もまた、コラボレーションの産物といえるだろう。
ネット社会に生きる多くの人にとって、PCの原体験はインターネットを使うことだったかもしれない。そのため誤解されがちだが、インターネットとPCはほぼ同時期に出現したが、しばらく交わることのなかった歴史を持つ。
しかしその両者が相まみえたとき、パーソナライズしながら、コラボレーションする、という新しい世界が誕生したのだ。その中で数字は、何かを意味するものから、何かを実行するものへと役割を変え、何かを思考するものへと発展しようとしている。
AIの時代を迎えて世界はどのようになっていくのか。答えはすべて過去の歴史の中にあることを、本書は教えてくれるだろう。
※週刊東洋経済 2019年11月16日号