「見えない」のは、何か力を失った状態ではなく、「視覚に頼らない」という力をもつことでもあるのだと、ここ数年、いろんなご縁のなかで感じている。
その”ご縁”のひとつが、東京都北区田端にある、20席ほどの小さな映画館、そして日本初の「ユニバーサルシアター」でもあるCinema Chupki Tabata(シネマ・チュプキ・タバタ)だ。
「ユニバーサルシアター」とは、名前のとおり、”どんな人でも一緒に楽しめる”映画館のこと。建物の設備がバリアフリーで、車椅子の人も利用しやすい設備になっているのはもちろん、耳が聞こえない人も楽しめるよう、洋画邦画問わず、全作品が日本語字幕付きで上映される。全席にイヤフォンジャックが備え付けられていて、そこにイヤフォンを差し込めば、目が見えない人も映像の情報を把握できる「音声ガイド」(声による解説)が流れるようになっている。赤ちゃんや小さい子どもさんと一緒のお客さんも、周りを気にせず映画を味わえるよう、完全防音の親子鑑賞室も備わっている。
チュプキは2016年9月にオープンしたが、もともとは、音声ガイドの制作や普及のための活動を2001年から積み重ねてきたボランティア団体「バリアフリー映画鑑賞推進団体City Lights」から始まっている。
本書『夢のユニバーサルシアター』は、City Lightsの立ち上げから、どのような変遷を経て、ユニバーサルシアター・チュプキの開館に至ったのか、その歴史を紐解くとともに、「様々な人が一緒に映画を観る」ことのおもしろさや、音声ガイドの奥義を伝える一冊だ。
防塵マスクと小型マイクで「こそこそガイド」
今でこそ、技術が発達したため、専用のアプリ(UDCast)を個人のスマートフォンに入れれば、音声ガイドを利用した映画の鑑賞は、容易になってきている。だが著者たちが活動し始めた当初は、もちろんそうしたツールはない。有志のボランティアが視覚障がい者とともに劇場に行き、隣に座って小声で映画の解説を加える…というとてもアナログな手法で「シアター同行鑑賞会」をおこなっていた。しかし、その「こそこそガイド」では、まわりのお客さんが気にする可能性もあるため、声が漏れないように、ゴム製の筒を口に当ててしゃべったり、防塵マスクの下に小型マイクを仕込んでしゃべるなど、試行錯誤を重ねていた。
ただ、その有志ボランティアも、映画会社からすれば”観客の一人”に過ぎない。映像のデータや台本などの資料をもらうことはできないため、ボランティアの人たちは、事前に何度も自分で映画を見に行き、映像の内容を頭にインプットしていたという。
そうした地道な努力の積み重ねによって、音声ガイドの手法やツールは改善され、社会的な認知度も高まってきてはいるものの、日本で劇場公開される年間800本ほどの映画のうち、バリアフリー化されるのは、年間80本程度。まだまだ“バリア”は大きい。
大量の視覚情報から何を選びとり、どう伝えるか
ただ、音声ガイドがどうやって作られるかを知るほどに、そう簡単に大量制作できるものではないことも分かってくる。
本書後半では、名作『ローマの休日』を具体的な例として見せながら、音声ガイドを作るときのポイントを解説している。
例えば、セリフや音でわかる情報は、音声ガイドで説明する必要はない。「ピーポーピーポー」という音が流れていれば、それに対して「救急車が来る」という音声ガイドをつける必要はない。しかしこれが、「鈴木家の前に救急車が止まる」という解説になれば、視覚的に捉えられない情報を補えるため、“ありがたいガイド”になりうる。他にも、「雷鳴がとどろく」より「稲妻が光る」と解説されたほうが、頭に絵が浮かんできやすかったり、逆に、無言の「間」の部分に、「沈黙が流れる」などという音声ガイドをつけてしまっては、せっかくの緊張感を壊してしまうことになる。
同様に、登場人物の感情を伝えるときには、「悲しそう」といった解釈をそのまま伝えてはいけない。何をもって「悲しそう」だと感じるのか、視線やしぐさなどを分析して、その”判断材料”のほうを伝える必要がある。例えば、「目を潤ませる」と伝えれば、悲しいのかなと推測できたり、「目を泳がせる」と聞けば、動揺しているのが伝わったりする。
普段私たちが無意識に視覚で受け取っている大量の情報のなかから、何を選びとり、どう伝えるかを、研ぎ澄ましていく作業が必要になるのだ。
「補助ガイド」ではなく、新しい世界へ導いてくれるガイド
Chupkiでは、個人の解釈に偏ってしまわないように、また、生まれながらに視力を失っている先天盲の人でもわかりやすい表現になっているかを確認するため、音声ガイドは複数のメンバーで制作し、可能なかぎり、視覚障がい者の人に「モニター」としてチェックしてもらっている。それぞれの解釈や思いを持ち寄り、検討を重ねるその対話は、時間とエネルギーを要するものの、そのプロセスが一番楽しいと話すモニターの人もいる。
そして私も、自分が好きな映画を、音声ガイド付きで楽しむために、Chupkiに足を運んでいるのは、音声ガイドがただの「補助ガイド」ではなく、自分で見ていただけでは気づかない視点をもらえたり、普通に鑑賞するのとは一味異なる体験になるからだ。
筆者の平塚千穂子さんが、「バリアフリー上映を、ボランティアや社会福祉の『いいこと』ではなく、『おもしろいこと』として届けることを目指し続けてきたのも、視覚や聴覚に頼らない「文化」から、気づかされることや学ぶことが多かったからではないかと思う。
音声ガイドを制作することは、単純に、見えるものを言葉で伝えるだけじゃない。誰かの人生に寄り添うことによって紡ぎ出される言葉があり、その言葉を紡いだ想像力が、世の中を優しく、少し生きやすくしてくれるのではないでしょうか。
本書を通じて、音声ガイドのおもしろさを少しでも感じたとしたら、読んで「見る」ことで満足せずに、ぜひ体感しにいってみてほしい。