「教養」がブームになってひさしい。2010年代の前半から『教養としての○○』というタイトルの本も数えきれないほど発売されている。そんな中、『教養としてのヤクザ』というタイトルの本を書店で目にして、つい手に取ってしまった。完全にタイトル勝ちである。ヤクザの話がいったい教養になるのかどうか?はなはだ疑問ではあるが、著者の名前を見て、これは買いだと確信した。
なぜなら本書は『サカナとヤクザ』で一躍有名になった鈴木智彦氏と、日本最強の組織犯罪ジャーナリストである溝口敦氏の対話をまとめた1冊だったからだ。両氏の著作はHONZでもたびたび紹介されているので、HONZの読者にはおなじみだろう。
HONZで紹介されたレビューを以下に羅列してみる。
鈴木智彦氏→『ヤクザと原発』(東えりかの新刊超速レビュー、内藤順のレビュー)、映画にもなった『全員死刑』(栗下直也のレビュー)、『サカナとヤクザ』(内藤順のレビュー)
溝口敦氏→『暴力団』(栗下直也のレビュー)、『抗争』(成毛眞の新刊超速レビュー)、『詐欺の帝王』(成毛眞のレビュー)
HONZでも人気のノンフィクション作家2人が、反社とはなにか、暴力団とはなにか、ヤクザとはなにかを語った本である。これがおもしろくないわけがない。ということで、本の中から気になったところをいくつか紹介しよう。
昭和の時代、貧困や差別のなかに生きる持たざる者たちにとって、ヤクザという生き方は一種のジャパニーズドリームの体現だったそうである。男たちのロマンチシズムを痛く刺激するヤクザ映画もこの時代には量産された。しかし平成に入って徐々にヤクザの生活が変わっていった。社会がヤクザを追い詰めていったのだ。平成4年に暴力団対策法が施行された。そのころは極道の妻たちが「このままでは生きていけない」とプラカードを掲げ、銀座をデモ行進できる時代だった。
しかし東日本大震災が起きた2011年頃から「暴力団排除条例」が全国に広まったことがヤクザを根本から変えてしまったという。銀行口座は持てず、生命保険に入れず、就職も、起業もできない。暴力団であることを申告せずにゴルフ場でプレーしたり、ホテルに泊まったり、クレジットカードを申請すれば詐欺罪で有罪になる。ヤクザという属性があるだけで、もはやまっとうな生活が送れなくなっているのだ。
令和の時代になってヤクザはますます困窮しているという。そんな中、ヤクザのシノギ(資金獲得の手段)の中で流行っているのが、タピオカドリンクだという。タピオカがブームになってから、だいぶ時間が経過しており、そろそろブームが下火になるのでは?と思っていたのだが、私の行動範囲だけでも夏以降に4軒ほど、タピオカドリンクの店がオープンしているところをみると、まだまだブームは続いているようだ。
タピオカドリンクは1杯当たりの原価が30~40円で売値は500円くらいだから、原価は1割ほどである。開店資金は都内であっても200万ほどで、技術も不要でバイトの教育もほとんど必要がないという手軽さである。店によっては1店舗で月に80万~100万の利益が出ているそうだ。あなたもそうとは知らずに暴力団経営のタピオカドリンク屋で、タピオカドリンクを飲んでしまっているかもしれない。
ヤクザのシノギというと、覚せい剤の密売やノミ行為を含めた賭博、管理売春、みかじめ料といった違法なものを想像するかもしれないが、金になるのであれば、サカナの密漁や(詳しくは『サカナとヤクザ』で)、お祭りで出店をだしているテキ屋など、自ら働くヤクザもいる。様々なものがシノギになっているのだ。私たちの知らないところで、ヤクザと社会はつながっているのである。オリンピックのスタジアム建設の現場や、人が集まりにくい原子力発電所の現場など、人出が必要なときに人を集め派遣するのもヤクザの仕事である。
ところで、ヤクザが所属する暴力団というのは会社組織のようなものではないそうだ。ヤクザ一人ひとりは基本的に個人事業主なのである。個々で勝手に稼いで、組に上納金を納める。時には仲間と組んで稼ぐこともあるが、暴力団というのは“互助会”のようなものだと知って驚いた。
ここまでヤクザという言葉を連呼してきたが、近頃は「ヤクザ」という言葉が放送禁止用語になっているらしい。ヤクザという言葉は江戸時代からあるものだが、警察が使い始めた「暴力団」がこれからは正式名称になるようだ。「暴力団」は大正時代から使われている言葉である。また名称でいうと「反社(反社会的勢力)」という言葉もあるが、そう呼ばれたくないヤクザが多いというのも興味深い。
「暴力団という名付けはけっこうである。なぜなら我々は暴力を基本としているから」その一方で、社会の役に立ちたいという気持ちはあるから「反社」という名は受け入れがたいと五代目山口組組長は語っている。
暴力団排除条例によって衰退し、アングラ化しつつあるヤクザは、もしかすると令和の時代に消滅してしまうかもしれない。小説や映画の中で見るフィクションとしてのヤクザではなく、現実のヤクザがいま、何を考え、どう生きているのか?その答えがこの本の中にはある。あなたの生活しているすぐ近くにもヤクザはいるかもしれない。