見慣れた世界地図を、ちょっと視点を変えて色分けしてみると、思いも寄らない姿が浮かび上がってくることがある。たとえば「民主化」の度合いや「女性の社会進出」の進み具合で色分けすれば、欧米を中心にした国々を濃く塗りつぶすことになるだろうし、「政治的自由」の制限などを切り口にすれば、また違った国がクローズアップされるだろう。
では「霊」はどうだろうか?
いや、唐突かもしれないが、別にふざけているわけではない。
霊とは文字どおり「心霊」や「幽霊」、「霊魂」や「精霊」のことである。
もしも、目に見えない「霊的なものへの感性」で世界地図を色分けしてみたら?
おそらく東南アジア一帯は、色濃く塗りつぶされて浮かび上がってくるはずだ。
本書はタイを中心に東南アジア一帯の怪談を集めたいっぷう変わったルポルタージュである。著者はもともと死体に興味があり、博物館に死体を見に行ったり、インドまで足を運び、ガンジス河のほとりで焼かれる遺体を眺めたりしていたという。死後の魂の行方よりも、死後の肉体がどうなるかということに興味があったのだ。
2002年からタイで暮らし始めた著者は、ライター業のかたわら、華僑が設立した慈善団体でボランティアとして救急活動に従事するようになる(タイでは政府の救急車の配備が行き届いておらず、慈善団体が保有する救急車にもしばしば出動要請があるらしい)。現場に駆けつけていれば、当然のことながら事故や事件に巻き込まれた遺体を目にすることになる。だが著者にとって遺体は恐ろしいものではなかった。ボランティアで遺体と向き合っていると話すたびに、タイ人から「お化けは怖くないのか」と訊かれるのに閉口し、内心「怖いのは幽霊よりも生きている人間」の方だろうと思っていたくらいだった。
ところがある時、恐ろしい心霊現象に遭遇してしまう。
深夜、悲惨な交通事故の現場に臨場した著者は、首があらぬ方向に曲がった若い男の遺体とふと「目が合って」しまう。警察の現場検証が行われる中、さりげなく立ち位置を変えてみるにもかかわらず、なぜか遺体のうつろな目はずっと著者のほうをとらえて離さない(こ、怖い……)。検視は朝までかかり、著者はようやく帰宅することができた。ところが……家までついてきてしまったのだ、その男が。
ベッドでうつらうつらするたびに誰かがドアをノックする。出ると誰もいない。
それが何回も繰り返され、頭にきた著者が「何もしてあげられない。帰れ」と言うと、ようやくノックはやんだという(そういえば景山民夫の傑作エッセイ『普通の生活』にも似たような話があった。恐山をテレビのロケで訪れた帰りに霊がついてくる話だ。景山によればそんな時は怒鳴りつけるといいらしい)。
この強烈な心霊体験を機に、著者は現地の怪談についてフィールドワークを始めた。その成果をまとめたのが本書である。
驚くのは、バンコク中心部だけをとっても、心霊スポットが無数に存在することだ。しかもそれぞれに怪談が紐づいている。ひとつ、タイでは知らない人がいないくらい有名という古典的な怪談「メーナーク・プラカノン」を紹介しよう。
昔ナークという女性がいた。結婚して幸せに暮らす彼女のお腹には新しい命が宿っていた。ところが、夫が兵役にとられている最中に出産することになったナークは、赤ん坊が逆子だったことが原因で亡くなってしまう。妊婦が胎児とともに死ぬと悪霊「ピー・ターイタンクロム」になると信じられていたため、親戚たちは彼女を手厚く葬った。ところが悪い呪術師が遺体を掘り返したため、ナークは悪霊として復活してしまう。兵役を終え戻ってきた夫は、そうとは知らずナークと暮らし始め、周囲がいくら彼女は死んだと説明しても耳を貸さない。だがある日、ナークの人間ならざる姿を目撃してしまい怖くなった夫は、寺院に助けを求める。夫を奪われ怒り狂ったナークは、悪霊の本性を現し次々に人々を殺していく。そしてある僧侶がようやく彼女を説得し成仏させることができた……。
タイではこの怪談が実話だと広く信じられているという。事件が起きたのがやけに具体的に1870年前後とされることや、実在する地名や寺、住職などの名前が登場するからだそうだ。たびたび映画や舞台化もされているらしい。
この怪談には、タイの文化のエッセンスが凝縮されている。
それは「精霊信仰」だ。
タイは国民の9割が仏教徒だが、上座部仏教が入ってくる前、人々の間にあったのは「精霊信仰(アニミズム)」だった。タイ人は精霊を「ピー」と呼ぶ。狭義では幽霊や妖怪を指し、広くは心霊現象全般や日常生活の運不運、神様がらみの事柄など、なんでもかんでも「ピー」で片付けてしまうという。
興味深いのは、この精霊信仰が仏教とも結びついていることだ。
著者によれば、多くのタイ人の関心は、死後の生まれ変わりに注がれているため、亡くなった後の肉体にはさほど興味がないという(このため遺体写真も普通にメディアに露出する。死を隠そうとする日本とは正反対だ)。タイ人仏教徒は墓を作らず、荼毘に付された後、遺骨は散骨するか、そのまま寺院の仏塔に預けてしまう。関心は死後の魂の行方にあるからだ。これは仏教が広く普及してもなお、アニミズム的な霊魂の存在を人々が強く信じていることを表している。
バンコクを訪れる機会があったら、本書の詳細な心霊マップが役に立つかもしれない。市街地の地図上に、怪異現象が見られる現場や心霊スポットがマッピングされたものだ。この本で初めて知ったが、タイではこれらの心霊スポットにシマウマの置物を置く習慣があるという。街で探してみるのも一興だろう。このシマウマの置物の意外な由来は、ぜひ本書を読んでほしい。
それにしても物珍しさでおっかなびっくり手に取った一冊だったが、意外にもタイ人のメンタリティは日本人と相通ずるところが多いように思えた。縄文的な感性とでも言おうか、私たち日本人の心の基層にもアニミズム的な感性が横たわっている。なるほどこの日本も確かに、世界地図上にくっきりと浮かび上がるアジア特有の霊域の一端に位置する国なのだ。
霊感など「そっち方面」のアンテナの感度がまったくもって弱い上に、その手の話は疑ってかかるのが習い性になっている類いの人間なのだが、これまでの人生で「すげぇ!!」と心底驚愕させられた一冊といえばこれしかない。「前世が見える」と評判の人物にたまたま取材で前世を見てもらったら、あるマイナーなルネサンス期の彫刻家の名前が出てきて、調べ始めたら腰を抜かすような展開が待っていた、というお話。もちろん正真正銘のノンフィクション。聡明で健全な懐疑精神を持つ著者が、前世の自分を検証していく過程がとてつもなくスリリング。いわゆる「そっち方面」のお話で、個人的にこの本を超えるほど面白い本とは、いまだに出会ったことがない。
恐山の幽霊の話は、本書所収の「嫌な奴は怒鳴りつけろ」に。余談だが、「ネス湖の生一本、グレン・モーランジー」とか「素晴らしく遅い車、シトロエン2CV」とか、若い頃この本で大人の男の遊びのあれこれを知った。こういう大人のしゃれたエッセイを書ける人が最近はいなくなってしまった。