仕事の「ムダ」をなくすには、まずムダな仕事をしないことだ。本書のエッセンスを一言で表せばこうなる。いたってシンプル。そして「整理術」系の全てのビジネス書は、同じ内容を説く。
と言って、「ムダな仕事をしないこと」は、決して容易ではない。というのは、何が「ムダな仕事」かが分からないからだ。誰しもムダだと分からないから、ダラダラ仕事を続けてしまう。
これは人ごとではなく、評者である私自身の毎日である。そして、いつも後悔するのが「またムダな仕事に時間を費やしてしまった」である。そして、何十年も科学者をやっていて一向に改善しない。反省。
本書は「時短術」のビジネス書である。つまり、時間を短縮するための「今から使える」ノウハウを、39ほど紹介している。
著者は週休3日で日本企業の働き方改革を支援している会社社長で、528社16万人の成功と失敗の事例から得た実践メソッドを公開した。
薦める時短メソッドは、納得のいくものばかりだ。「日々の仕事に潜むムダを洗い出す」「やらないことを決める」「空いた時間を自分だけの時間にする」「そこで次のアイデアを考える」「自分をリフレッシュする」「身近な人に優しくする」、等々。
HONZのファンなら、全てどこかで聞いたことのある話だ。でも、なかなかできない。いや、他人の話ではなく、再び私自身のつぶやき。時短術のビジネス書を100冊読んでも、ぜんぜん進歩しない。なぜだろう?
それは元来、人間は時間をたっぷりとかけて仕事をするように設計されているからだ。それなのに産業革命以降の、もっと言えばインターネット革命以後の我々は、時間をかけずに仕事をこなすことを強いられてきた。土台それは無理なんだよね。
人間は変化することがキライだ。できたら今のままでいたい。誰しもラクな人生を望む。ぬるま湯の会社(組織)はみんなの理想だ。しかし、現代資本主義は「キライな」時短を要求してくる。
そこを著者はちゃんと押さえている。「自分の行動はなかなか変えられません。(中略)変化すると言うことは、通ったことのない暗い道を進むのと同じです。(中略)そういう生き物に設計されているので、変化をしないことを好むのが当然なのです」(121-122ページ)。
とすれば人生、最小限の変化に済ませることが、時短の秘密なのである。そして、そのテクニックは見事に本書に網羅されている。読者に「ピン!」とくる項目だけ「最低限」、身につければ良い。
全部を身につけようなんて、まさに「ムダな仕事」以外の何ものでもない。できるだけ多く吸収しようとすること自体、ムダへの第一歩だ。
という私は、「メールチェックは1.5時間に一回」「メールを見ない時間を決めること」(52ページ)だけ守ろうと決心した(それ自体ホントはむずかしいが)。
ここで、私の「時短術」と比べてみよう。私もビジネス書は大好きで、ゴマンと読むだけではなく、自分でも書き始めた。屋上屋(おくじょうおく)を架す。そんなことは無視して、教室にあふれる迷える京大生をはじめとして、ビジネスパーソンに「時間の戦略」を伝えたい。
本書のツボを私なりに言い換えると「不完全法」となる。つまり、元々人間は完璧主義なので、時間に対しても歯止めが効かないものなのだ。だから、「不完全である勇気」を持って「最低限」で止める。
たとえば、重要なことを考える時間は、毎日1時間を限度とする。「頭は1日に1時間しか働かない」がキーフレーズ(拙著『成功術 時間の戦略』文春新書)。著者の説く「長時間掛けて成果が上がらない会議、やめましょう」(18ページ)と同趣旨なのだ。
もう一つは、「簡単に考えること」「無理をしないこと」の二つ。そのためには「捨てる技術」が必要で、「オフの戦略」が必要となる。著者は、「週休3日の1日は休養と教養に充てているのですが、必ず週に7冊以上の書籍を読むようにしています」(213-214ページ)と書く。
そのためには「身体の声を聴く」生活になるかどうかが、一番のポイントとなる(拙著『一生モノの時間術』東洋経済新報社)。が、それは「時短術」の上級編となるだろう。またじっくりと語りたい。
そして最後に、読者の皆さんは「あまりビジネス書を読み過ぎないように」。「時短術」の本を読み漁って時間がなくなることほど、本末転倒はない。かのショウペンハウエルも宣ったように「本の読み過ぎに注意!」。
それに関しても持論を『一生モノの超・自己啓発 —京大・鎌田流「想定外」を生きる』(朝日新聞出版)で展開したが、ポイントは「今あるもの(本)だけで生きる」。またもや屋上屋を架す。ビジネス書を読み過ぎた私自身を深く反省した懺悔本だ。
人間が「ムダな仕事」に突進する完璧主義は、それほどまで治らない。自戒の意味を込めて、書評にはいつもこう書く。でも、好きなことが止められないのも、また人生。HONZの皆さんと同じように。