科学者ニュートンはだれでも知っているが、彼の著作を読んだ人はめったにいない。その理由は、300年以上も前に書かれた分厚い本で、内容が数学だらけで、翻訳してもとても読めたものではない、と信じられているからだ。
しかし、それは間違っている。このたび理工書の老舗、講談社ブルーバックスから日本語版(全3巻)が刊行され、何と意外に読めるのである。そこで「科学の伝道師」を標榜する地球科学者が、文系読者の視点で読み解いてみよう。
現代は科学技術なしに語ることができないが、その基礎を作った物理学者がアイザック・ニュートン(1642~1727)だ。1687年に刊行された『プリンシピア 自然哲学の数学的原理』(Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica)にそのエッセンスが書かれており、世界中で『プリンシピア』もしくは『プリンキピア』(Principia)と略称されている。
ニュートンは宇宙を動かす力学の一般法則を発見し、本書によって万有引力をはじめとして古典物理学の基礎的な事項が初めて定式化された。後世に多大な影響を与えた「科学書第一の古典」は現在、ケンブリッジ大学から全文がネット公開されている。
さて、『プリンシピア』は「序論」と「本論」3編で構成されている。定義と公理を述べた「序論」では、力学上の基礎的な概念を説明する。
たとえば、高校物理でもおなじみの「質量」・「運動量」(ブルーバックス版第1巻、23ページおよび365ページ注)、さらに「力」(同24ページ)をはじめとして、「絶対時間」・「絶対空間」・「絶対運動」(同30~32ページおよび367~368ページ訳者注)などが厳密に定義される。
ちなみに、ニュートンが使った用語は今と若干異なるが、それらは訳者の中野猿人氏による詳細な注を参照すれば、容易に理解できよう。
次の項目「公理、あるいは運動の法則」では、「運動の3法則」「力の合成・分解の法則」など、ニュートンが確立した古典物理学の基本概念が述べられる。
ここで高校時代の物理の授業にワープしてみよう(好きか嫌いかは別として)。「運動の3法則」とは教科書で「ニュートンの運動の3法則」として知られているもので、「慣性の法則」「運動方程式」「作用・反作用の法則」の3つからなる。一言で表せば、「どんな力が働いたとき、どのように動くか」を明らかにした法則である。
これを逆に使えば、「物体がこんな動きをしていた場合、そこにどんな力が働いているのか」に答えてくれる。つまり、科学には「予測と制御」という重要な機能があるのだが、「運動の3法則」を知っていれば、見えない未来が予測できるというわけである。
なお、高校の勉強から遠ざかって久しい読者も少なくないと思うので、ここでおさらいしておこう。これさえ押さえれば、『プリンシピア』を読んだ(たとえ冒頭だけでも)と胸を張ることができるからだ。
「運動の3法則」の法則Ⅰは「慣性の法則」である(第1巻43ページ)。「物体は外から力が加わらないかぎり、そのままの状態を続ける」というもので、これは日常感覚でもよく分かる。
次の法則Ⅱは、物理で「運動方程式」と呼ばれるもので、「物体に外から力が加わると、加速度が生まれて運動が変化する」と表現される。簡単に言うと、バットでボールを打つとすごい加速度で上空に飛んでいく現象のことだ。
さて、「運動が変化する」と書いたところに、重さを意味する「質量」を入れてみよう。そして「〈質量に比例して〉運動が変化する」と追記すると、有名な「運動方程式」になる。
その方程式は以下のように記述される(これも好きか嫌いかは別として)。
F(力)=m(質量)×a(加速度)
簡単に言うと、バットで野球ボールとゴルフボールを打った場合に、同じ力だったら軽いゴルフボールのほうが野球ボールよりも加速度が大きくなる、ということだ。
もし重さ10キログラムの砲丸を打ったとしたら、加速度が全く出ないだろうことも感覚的に分かるだろう。
実は、ニュートンは意外に身近な現象を記述しているのである。これも『プリンシピア』を読んで発見できることなのだ。
さて、最後の法則Ⅲは「作用・反作用の法則」と呼ばれる(同44ページ)。「物体に力を加えると、その物体は同じ力で押し返してくる」というもので、けっこう納得できる。たとえば、満員電車の中で他人の肩を押したら、相手から同じ大きさの力で押し返される感覚だ。
このように「ニュートンの運動の3法則」は、我々の日常感覚とそんなに違わない。だからこそホームランは外野席まで飛び込み、満員電車は乗客全員が窮屈なのだ。
こうして大古典『プリンシピア』が決して高級で難解なことを言っているのではないことを、ぜひ知っていただきたい。
余談だが、『プリンシピア』は19世紀イギリスの高等教育で理系のテキストとして使われていたそうだ。ところが当時のエリート大学生も、ニュートンの幾何学的証明には相当手こずったようで、微積分を使って説明し直した注解書がいくつも出た。
実は、現代日本人の教養に物理学が必須である、と評者は考えている。京大の講義でいつも学生に言うのだが、高校で物理を履修しなかった文系の学生は在学中に勉強し直す必要がある。
物理をはじめとして大学受験に臨んで学んだ知識は、社会に出てから役に立つものなのだ(拙著『一生モノの受験活用術』祥伝社新書を参照)。新幹線も携帯電話も、高校物理の知識なしには理解不能だからである。
ニュートンは古典物理学という大きな財産を人類に残した。その学問的遺産は後の科学者によって展開され、20世紀に活躍する天才物理学者アインシュタインへ継承されてゆく。
ちなみに、「世界物理年」の2005年に、物理学で誰がいちばん科学に貢献したかという投票が行われた。
ニュートンとアインシュタインが「時空を超えた対決」をした結果、科学者の8割、そして一般市民の6割がニュートンに投票し、残りがアインシュタインに入れた。なお2人の破天荒な人生と業績については、拙著『世界がわかる理系の名著』(文春新書)にくわしく紹介したので参考にしていただきたい。
近代科学者の先駆けとして、ニュートンがスーパー科学者という点では誰も異論がない。『プリンシピア』には彼が確立した科学的な方法論が網羅されている。世界の大古典は案外簡単に読めるもの、という体験をぜひしていただきたい。