このところ泣いてばかりいる。
開幕戦のキックオフで泣き、釜石のスタンドに並んだ子どもたちの笑顔に泣き、アイルランド戦の勝利で泣いてしまった。まったくいい歳をした大人がどうしちゃったのかと自分でも思う。
でも、涙はラグビーによく似合う。
だいいち当の選手がよく泣く。彼らは勝っては仲間と抱き合って泣き、負けては相手と健闘を讃えあって泣く。いや、そもそも戦う前に国歌斉唱の時点で泣いている。気持ちが昂ぶるのを抑えられないのだ。鍛え上げられた筋肉の鎧をまとった男たちが人目もはばからず泣きじゃくる。それがラグビーだ。
故郷はラグビー熱の高い土地柄で、大分舞鶴高校というラグビー名門校がある。公立の進学校でありながら花園の常連だ。2学年上に今泉清という後に早稲田やサントリーでも活躍する花形プレイヤーがいたこともあって、この頃から熱心にラグビーを観るようになった。
大分舞鶴は、松任谷由実の『ノーサイド』のモデルであることをご存知だろうか?1984年の全国高等学校ラグビーフットボール大会決勝は、大分舞鶴と天理高の一戦となった。大分舞鶴は後半ロスタイムにトライを決めてスコアを僅差とし、ゴールキックさえ決まれば同点で両校優勝となるところまで追い上げる。ところが最後のキックをキャプテンが外してしまい、その瞬間ノーサイドのホイッスルが鳴った。このドラマチックな幕切れからユーミンは曲の着想を得たという。
ラグビーは観る者の心を揺さぶる力を持っている。
なぜラグビーを観ると胸が熱くなるのだろう。
その答えは決まっている。
ラグビーの魅力の本質、それは「多様性」だ。
まずラグビーはどんな体型でもその人にあったポジションがある。太っていても、のっぽでも、小さくても適したポジションがある。身体能力もしかり。足が遅くてもハードワークで、力が弱くても判断力で貢献できるポジションがある。どんな人にも適材適所の居場所がある。必要なのは、持って生まれた肉体と勇気だけ。選手は文字通り体ひとつでぶつかりあう。実にフェアなスポーツだ。
さらにラグビーの多様性は、選手の国籍にも及ぶ。
ここがもっとも大切なポイントかもしれない。
ラグビー日本代表ももちろんこの多様性を体現している。
そしてそのことで彼らは、日本社会の未来を映す鏡にもなっている。
「日本代表なのになんで外国人ばっかりなの?」
「日本人じゃないのって、なんか違和感がある」
「日本は強豪国じゃないから、助っ人外国人に頼るの?」
今回あちこちでこのような素朴な疑問の声を耳にした。たしかに他のスポーツの代表チームに比べると、ラグビーは特殊に見えるかもしれない。
ラグビーでは、以下の条件のいずれかを満たしていれば、国籍と異なる国の代表としてプレーできる。
〈出生地がその国であること〉
〈両親、祖父母のうちひとりがその国の出身であること〉
〈その国で3年以上、継続して居住。または通算10年にわたり居住〉
上記に加え「ひとりの選手は1カ国の代表にしかなれない」という制約がある。また今回の日本大会以降、3年以上の居住は5年へと変更されることになっている。
なぜ国籍を問わないのかといえば、大英帝国の歴史が関係している。
ラグビーは19世紀にイングランドで生まれ、やがて近隣のスコットランド、ウェールズ、アイルランドの4カ国でテストマッチが行われるようになった。これら隣り合う国々では住民の往来が盛んだったうえに、ラグビーが普及していった植民地の間でも人々がひんぱんに行き来していた。国籍を重視しない考えはそんな歴史的背景から生まれてきたものだ。
ちなみに「日本は強豪国じゃないから、助っ人外国人に頼っている」というのは誤解だ。2015年のW杯出場国の中で外国出身の選手をもっとも多く起用した国はサモアで、次いでウェールズ、スコットランド、トンガと続く。いずれも強豪国だ。実は日本は20カ国中、5番目に過ぎない。
しかも外国人選手は決して「助っ人」ではない。彼らはれっきとした日本代表の一員である。
『国境を越えたスクラム』を読めばそのことが実感できるだろう。この本は、外国出身の選手たちがどんな思いで代表として戦ってきたかを教えてくれる。ノフォムリ、ホポイ、ラトゥなど往年のファンには懐かしい選手から現在の代表メンバーまで、多くの外国出身選手が日本についてその思いを語っている。
代表に選ばれた海外出身選手は桜のジャージに特別なプライドを持っている。彼らを支えているのは、自分をサポートしてくれた人たちのために戦いたいという強い気持ちだ。
リーチ マイケルが高校2年生の時、ニュージランドの実家が火事になってしまった。後に彼は、高校の監督が関係者に呼びかけて義援金を集め、何も言わずに実家に送ってくれていたことを知る。感動したリーチは「その恩はラグビーで返すしかない。何があっても、日本以外の国の代表になるわけにはいかないと思いました」と語っている。ニュージランドやフィジーの代表になる資格があったにもかかわらず、彼は日本を選んだのだ。
海外出身の選手にとって日本は、国家という抽象的な概念に基づくものではなく、具体的な誰かと結びついた存在である。異なる文化を持つ国から来た自分を寛容に受け容れ、ともに泣き、ともに笑い、多くの時間を過ごしてきた恩師や仲間たちのために、彼らは戦っているのだ。
彼らの言葉は、私たちにとても大切なことを教えてくれている。
日本は2019年4月から外国人労働者の受け入れに踏み切った。事実上の移民政策である。今後日本社会が大きく変わっていくことは間違いない。外国人と共生するために何が必要か、私たちはまだその答えを手にしていない。だがそのヒントは、ラグビー日本代表にある。
アイルランド戦のプレーに、私たちが目指すべき日本社会の未来が垣間見えた瞬間があった。この試合のターニングポイントは、前半35分のプレーだった。日本のフォワードが相手ボールのスクラムを粉砕し、アイルランドの自信を挫いたのだ。この時カメラは、温和な性格で知られる右プロップの具智元が雄叫びをあげる姿をとらえていた。彼はソウル生まれの韓国人だ。だが日本代表のために死力を尽くしている。その姿にこみあげてくるものがあった。
リーチ マイケルは、「ラグビーはメッセージのスポーツ」だと語っている。
大きな相手にひるまずにタックルする選手がいれば、その気持ちは力強いメッセージとなってチーム全体に伝わっていく。
まだまだ日本代表の戦いは続く。彼らのプレーをしっかりと目に焼き付けたい。多様なルーツを持つ選手が一丸となってプレーする姿に、私たちが目指すべき未来を指し示すメッセージが込められているはずだ。