動物が人間を襲った事例でよく知られているのは、大正4(1915)年に北海道三毛別で起きたヒグマ襲撃事件だろう。これは8人が犠牲になった悲劇として語り継がれるが、それとほぼ同じ頃、ネパールとインドの国境地帯で人々を恐怖に陥れていた動物がいた。それが、チャンパーワットの人喰い虎――436人を殺害したとされる雌のベンガルトラである。
本書はそのベンガルトラの足跡を追い、ジム・コーベットという伝説のハンターとの対決を描いた記録である。また、トラが人喰いへと追いやられていった背景を丹念に検証した、社会派ノンフィクションの顔も併せもっている。
だが、436人という数は、にわかには信じ難い。なぜこれほどの犠牲者を生んだのかという疑問はひとまず置いて、まず、トラという動物について少し学んでおこう。
トラはアジア起源のネコ科の大型哺乳類で、6亜種が現存している。そしてそのいずれもが、絶滅寸前の状態にある。
トラは本来、人間を殺して食べたりすることはない。『シベリア動物誌』(福田俊司著、1998年、岩波新書)に「野生のシベリアトラを一度見たということは、シベリアトラに千回見られたということ」というトラ研究者の言葉が出てくるが、この言葉にはトラがいかに臆病で警戒心の強い動物であるかがよく表れている。
しかし、その体格と身体能力は、想像を絶するものがある。本書で紹介されている1967年に射殺されたあるベンガルトラは、体重389㎏、体長3.35m以上。「巨大」と言われた三毛別事件のヒグマでさえ体重340㎏、体長2.7mだったというから、驚異的な大きさだ。
また、前脚の力は人間の頭蓋骨を一撃で粉砕するに十分であり、短距離なら時速64km、ほぼサラブレッド競走馬のトップスピードに匹敵する速さで走ることができる。オオカミ、ヒョウ、サイ、ゾウまで捕食し、クマばかりを獲物にしていたトラもいるそうだ。
だが、トラ同士の縄張りをめぐる争いは極めて過酷で、敗れれば本来の生息場所ではないところで餌を漁るしかなくなってしまう。
――話をチャンパーワットのトラに戻そう。ちなみに「チャンパーワット」とは、このトラが彷徨の末にたどりついたヒマラヤ山麓の街の名である。
なぜ人喰いになったのか? 本書に掲載されたこのトラの頭部の写真を見れば、犬歯が欠損・損傷していることがわかる。つまり、このトラはかつて密猟者に銃で撃たれた「手負い」であったのだ。傷ついた肉食獣が、手軽に獲れる獲物として人間に目をつけたのは必然だった。
こうしてこの手負いのトラは、ネパールで200人、その後インドに移ってさらに236人を殺して食べたとされている。人間を捕食する陸上動物がほとんどいない日本では、何百人もが動物に襲われて命を落とすのは異常に感じられるかもしれない。だが、人間も生物であり、大型肉食動物が暮らす環境に身をおけば、襲われることもある。
結局のところ、すべての人間は食うことのできる肉なのだ。
本書でも、多くの事例があげられている。フランスでは1764~67年の3年間に1頭のオオカミが113人を、最近の話では、アフリカ中部で2015年まで目撃されている巨大なナイルワニは300人以上を捕食したとされている。植民地時代のインドでは、毎年2万~2万5000人が野生動物に殺されていたという。
しかし、物言わぬ野生動物たちにも言い分がある。チャンパーワットのトラが人間を襲わざるを得なくなったのは、密猟者による手負いだけが原因ではなかった。
このトラが生まれ育ったネパールのタライという低湿地帯には、タルー族と呼ばれる人たちが、自然と調和し健全な生態系を維持して暮らしていた。
じつはこの湿地は英国軍の侵入を妨げるのにも役立ち、その番人であるタルー族はネパール王とも互恵関係にあった。ところが1846年にクーデターが起こってネパールが英国と軍事同盟を結ぶと、状況は一変する。
英国の脅威がなくなれば、低湿地帯という自然の要害は無用。タライは開墾されて穀倉地帯へと変貌した――つまりそれは、トラをはじめ野生動物たちの生息地を奪ったことを意味する。タルー族の人々も低いカーストに置かれ、彼らが均衡を保ってき生態系は無残に破壊されてしまった。
こうして、後に「チャンパーワットの人喰い虎」と呼ばれるようになるそのトラは獲物を求めて北上し、ヒマラヤの入り口・ルパール村にたどり着く。人口密度が高く周囲を森に囲まれたこの村は、人間を狩るのに最適だった。
だが、多くの犠牲者を出してしまったのには、他にも理由がある。1857年のインド大反乱の後、村民たちは武器を持つことを禁じられ、身を守る手段をもたなかったのだ。植民地政策が招いた災いである。
そして、英国政府からトラを殺してほしいと依頼されたのが、インド育ちのアイルランド人、ジム・コーベットであった。熟練ハンターであったコーベットの高潔な人柄は、本書の随所からも読み取れる。彼がこの命がけの難業を引き受けたのは、いわゆる「白人の責務」などではなく、「私がその一員であり、私が愛している人々」が食われているという事実が動機になっていたようだ。
トラとコーベット、どちらが死んでもおかしくない息の詰まる攻防は、チャンパーワットの地でコーベットが見た、犠牲者の少女に関する記述の生々しさに象徴される。
雌虎は、かの少女を真っ直ぐここに連れて来た。私の接近が、食事中の彼女を煩わせた。骨の破片が深い足跡の周囲に散乱し、その中に汚れた水がゆっくり染み込んでいる。その水溜りの縁に、水流を降りてくる時点では何だかよく解らなかったものがあった。ここに来て、それは人間の脚の一部であることが解った。これ以後、私はさまざまな人喰いを狩り続けることとなるが、その若い女の美しい脚ほど哀れなものは見たことがない――膝のすぐ下で齧り取られているのだが、斧でも使ったようにすっぱりと切断されている――そこから暖かい血が流れ出している。
この先の記述を読みながら、とうの昔に死んでいるこのトラが、次第に追い詰められていくのを一緒に体験しているような不思議な感覚にとらわれた。
そう、これは過去の出来事ではない。野生生物にとって、現在も続く悪夢の現実。2014年にも、インドで20人を殺したトラがいた。このトラが人間を食べ始めた理由も、生息地の喪失、獲物の喪失、そして手負い、である。
三毛別事件も、加害ヒグマは手負いだったことがわかっている。クマのテリトリーに人間が入植したことも無関係ではなく、この件にも人災の面があったと言える。
以前、野生動物の専門家が「気軽に“人間と野生動物の共生”なんて言われたくない」と話していたことを思い出す。それを実践することの難しさを実感しているプロの、きれいごとではない、終わりなき攻防への本音を吐露したものだろう。
じつはコーベットとトラの対決も、それが結末ではなく、すべての始まりであった。本書で明らかにされるその後のコーベットの生き方や、野生動物を翻弄し続ける私たち人間のあり方は、読む者の胸に重くのしかかる。
下記は、本書でも紹介されている古代インドの神話的叙事詩『マハーバーラタ』の一節である。
虎の棲まう森を切るな、森から虎を追い出すな。森なくしては虎は滅ぶ、そして虎なくしては森は滅ぶ。ゆえに、虎は森を見守り、森は虎を守らねばならぬ。
――2000年も前の先人の言葉に、いまいちど耳を傾けたい。
三毛別ヒグマ襲撃事件の事件後、林務官だった著者が生存者や遺族らから入念な聞き取り調査を行った記録。レビューはこちら。
上記『慟哭の谷』をベースにした、吉村昭による小説。
さまざまな状況での、クマの人身事故を取材した一冊。レビューはこちら。
豊富な写真で、トラに関する記述も充実。