医師にとって自らの名が診断名に冠されるのは名誉なことに違いない。だが「アスペルガー症候群」に名を冠した医師ハンス・アスペルガーにとって、それは胸を張って誇れた名誉だろうか。
アスペルガーは、ナチス統治下のオーストリア・ウィーンで小児科医として活躍した。敬虔なカトリック教徒でナチスにも入党しなかった彼は戦後、ナチスに抵抗した人物として評価された。また戦中に障害のある子どもたちを迫害から守るため、彼らには特殊な能力があると診断し、「第三帝国に貢献できる人材だ」と主張して命を救った経緯から、良心的な医師としても尊ばれた。
だが本書で描かれるアスペルガーの人物像は、これまでの慈愛と反骨のイメージを覆す。筆者が史料を丁寧に掘り起こすことで白日の下にさらした裏の顔は衝撃的である。
ナチスの悪名高い政策の1つが「T4プログラム(成人安楽死プログラム)」だ。同政策の下、ナチスはドイツ民族にふさわしくないとみなした精神障害者や知的障害者を多数殺害した。本書によるとアスペルガーは、この政策の一環である児童安楽死プログラムに協力し、多くの子どもたちを死に追いやったという。
惨劇の現場となったのは、シュピーゲルグルント児童養護施設だ。少なくともここで789人の子どもが、薬物を注射されるなどして殺された。確認できただけでも、アスペルガーはこの施設に44人を送り込んだという(実際にはもっと多いとみられる)。
ナチスほど人々にレッテルを貼り、選別することに取り憑(つ)かれた政権はない。ドイツ語に「ゲミュート(Gemüt)」という言葉がある。一般には「心情」や「情緒」を意味するが、ナチス政権下では「共同体の結束に寄与する資質」へと拡大解釈された。その結果、体制に反抗すれば「ゲミュートに欠ける人物」とみなされ、収容所や矯正施設に送られた。
本書の見立てによると、アスペルガーが提唱した「自閉的精神病質」という概念は、こうしたナチスの選別思想と通底している。事実、彼は社会の役に立つ子どもとそうでない子どもとを恣意的に区別していたようだ。同じ問題行動を起こす子でも、社会的地位の高い家の子は「奇矯」とみなし、貧困家庭の子は「精神障害」とみなしたのだ。
アスペルガーの自閉的精神病質に関する業績は、戦後に英国の精神科医ローナ・ウィングが再評価し、1981年に彼女が「アスペルガー症候群」のタイトルで論文を発表したことで一躍有名になった。「症候群」としたことで、より多様なタイプの子どもが含まれた。アスペルガーがナチスの診断体制に基づいて提唱した「精神病質」という言葉の歴史的背景も忘れ去られ、この概念は一挙に広まった。
近年の診断基準では、アスペルガー症候群も自閉症もまとめて「自閉症スペクトラム障害(ASD)」と呼ばれる。その特徴は対人関係やコミュニケーションの障害と、特定の分野への強いこだわりである。ASDを治療対象としか見ない人もいれば、才能の表れと見る人もいる。
ただ何かに価値判断を下す時、私たちはより慎重であるべきだろう。人間の分類行為がもたらした罪を知った今、そのことを肝に銘じたい。
※週刊東洋経済 2019年8月24日号