酒の上での失敗。私も含め身に覚えのある人が多いだろう。思い出すたび情けないが、そんな気持ちも栗下直也の『人生で大切なことは泥酔に学んだ』を読めば、自分はまだましなほうだと、間違いなくやわらいでくる。
各界有名人総勢27名のとんでもない泥酔エピソードが紹介されている。どれもすごいが、酒乱スケールの大きさでは、第二代内閣総理大臣・黒田清隆の右に出る者はおるまい。
北海道開拓使であった黒田、商船に乗っていた時、酒に酔って戯れに岩礁めがけて大砲を発射した。あろうことか狙いがはずれて住民が死亡するも、示談で片を付ける。かなりのものだが、これで驚くのはまだ早い。
その二年後、酒に酔って帰宅した黒田は、出迎えが遅いと激怒し、なんと、妻を斬殺したという。殴り殺したという説もあるらしいが、どちらにしたって恐ろしい。薩摩の盟友・大久保利通がかばい、忖度が山ほどなされて、公には病死ということにされた。
力道山、三船一郎、梶原一騎あたりの酒癖が悪かったというのは、なんとなくわからんでもない。文人系でも、中原中也の酒癖の悪さは有名だし、太宰治もさもありなんという印象だ。
しかし、小林秀雄、河上徹太郎、平塚らいてう、原節子あたりも泥酔したらとんでもなかったと聞かされると、ホンマですか?と言いたくなる。
梶井基次郎もそのような一人だ。電車の運転手の名札をとって追いかけられたとか、盃洗(酒席で杯をやりとりする時に使う器)で一物を洗ったとかいうのは、まぁいいとしよう。さらに、甘栗屋の釜に牛肉を投げ入れたり、ラーメン屋の屋台をひっくり返したりとまでいくと、犯罪と言わざるをえまい。黒田清隆にはだいぶ負けるけど。
そんな無茶苦茶な人が書いたと思って、繊細さをもって鳴る名作『檸檬』を読み返してみるといい。人間というものはわからんものだとしみじみ感じいることができて、より一層楽しめる。
文人というのは、ちょっと変わったくらいでないとダメなのかもしれない。嵐山光三郎の『文人悪食』を読むとそんな気がしてくる。森鷗外が好物の饅頭茶漬けを食べている姿なんぞを思い浮かべると、かなりシュールだ。ちなみに、中原中也の酒癖の悪さはこの本でも紹介されている。さすがだ。
栗下の本に戻ろう。「酔人研究家」を名乗るだけあって、泥酔者たちに対するツッコミはえらく鋭い。自らの経験に裏付けられているだけあって、的を射すぎていて笑えるのだ。
ただ、『泥酔に学んだ』というタイトルだけはちょっとあかんのとちゃうかという気がする。主語がわからない。いったい誰が学んだというのだ。この本に登場する人たちも、栗下も一切学んでいるとは思えない。
まぁいい。多くの酒飲みの心に潤いを与える本を書いてくれたことに免じて、まけといてあげることにしよう。
(日経ビジネス8月5日号から転載)
舞台となった丸善京都本店には、いまも檸檬を置きに来る人がいるという。栗下の本の梶井基次郎のところを読むと、そんな人がいなくなるかも。
あの文豪がこんなものを好きだったのか、と唸らされる名著。イメージ通りの文人もいれば、真逆の文人も。