妹背山婦女庭訓は、浄瑠璃作者・近松半二による文楽や歌舞伎での大人気演目。そして、『渦』は、半二の生涯と妹背山婦女庭訓の成立を縦軸に、それをとりまく人々を横軸に描かれた物語。生き生きとした描写に、江戸時代の大坂、劇場街であった道頓堀かいわいの賑わいや、そこでうごめく人たちの姿が目に浮かんでくるようだ。
この世もあの世も渾然となった渦のなかで、この人の世の凄まじさを詞章にしていく
道頓堀の渦の流れに身を任せ、虚実皮膜を描き続けた半二の人生、それこそが熱く壮大なドラマである。何百年も演じ続けられる戯曲を書けるような人物がただ者であるはずがない。
半二は近松を名乗っているが、近松門左衛門の弟子ではない。父から門左衛門のすずりを譲り受け、文楽の座付き作者となることを決意し、精進する。しかし、時代はあまり良くなかった。
竹本義太夫により一世を風靡した文楽であったが、すぐに人気は歌舞伎へとうつろっていった。そんな凋落傾向の中、文楽の座付き作者として『日高川入相花王』、『傾城阿波の鳴門』、『本朝廿四孝』など、次々と名作を世に問い、ひとり気を吐いたのが半二である。
幼なじみで歌舞伎の作者になった並木正三、今も使われる三人遣いの人形を発案した吉田文三郎、淡い初恋の相手で奈良の三輪へ嫁いだお末。フィクションではあるが、半二は本当にこんな人間関係の中であえぎながら浄瑠璃を作っていったに違いないと思えてくる。
妹背山婦女庭訓では、ふたつの悲恋が描かれる。そのうちのひとつは、娘、お三輪が愛する人のために殺されてしまうという筋立てだ。お末が逝ったことを知った日、お三輪の姿が半二の前にたちあらわれ、この物語が完成する。
浄瑠璃や文楽のことを知らなくとも面白く読める本である。しかし、半二が作った浄瑠璃がどのような内容かを知っておいた方が楽しみは倍加する。そんなの調べながら読むのは面倒だ、という人にお薦めなのが『マンガでわかる文楽』である。
文楽=人形浄瑠璃とは人形たちがおりなす時代劇ミュージカル。そんなスタンスで、ボケとツッコミをかましながら、数多くの演目が楽しく解説されていく。これほどわかりやすくて面白い文楽解説本はいままでなかった。画期的な入門書と太鼓判を押したい。
先ごろお亡くなりになられた橋本治さんは古典芸能にも造詣が深くて、たくさん本を出しておられる。なかでも、『浄瑠璃を読もう』は、妹背山婦女庭訓をはじめとする代表的な浄瑠璃の素晴らしい解説本だ。これを読めば、こころ素直に浄瑠璃を楽しめるようになる。
浄瑠璃や文楽などというと、どうにもとっつきが悪いと思われがちだ。確かに最初は難しいかもしれないけれど、知れば知るほど面白くなる。ここに紹介した本をきっかけに、ぜひ文楽の渦に巻き込まれていってもらいたい。
(日経ビジネス6月10日号から転載)
なにしろわかりやすくて面白い。これを読んだら、いままでの入門書はちょっと難しすぎたような気がします。
わたしにとって、文楽鑑賞のバイブルです。浄瑠璃は江戸時代の人たちの心のありかたを描いている。荒唐無稽なストーリーでもありのままに受け入れましょう。