スポーツの世界がいま大きく変わろうとしている。最新のテクノロジーを取り入れた「スポーツテック」の分野に熱い視線が注がれており、5Gのサービスによって新たな観戦のスタイルが生まれる可能性が生じている。政府も成長戦略の1つに「スポーツ市場の拡大」を掲げている。
だがスポーツを取り巻く環境がどんなに変わっても、その本質はけっして変わらない。それは「スポーツはドラマである」ということだ。
本書は箱根駅伝、プロ野球、Jリーグ、サッカーワールドカップ、オリンピック・パラリンピックなど、あらゆるスポーツ中継を経験し、現在WOWOW社長を務める著者が、社員研修で講義した内容をまとめたものだ。コンテンツ制作の真髄が惜しげもなく披露されており、スポーツを愛するすべての人にとって有益な1冊となっている。
スポーツ中継で最も大切なことは何か。それは「フィロソフィー」であると著者は言う。なぜそのシーンを撮るのか、何をどう伝えるのか、その前提となる哲学のことだ。
1991年、東京で開催された世界陸上のホスト局に日本テレビが選ばれた。全競技の国際映像を制作して各国に配信するのが主な役割だった。この時、著者たちが掲げたフィロソフィーは「競技はシンプルに。競技以外はドラマチックに」というものだった。
国際映像には細かな取り決めがある。国際陸上競技連盟は種目ごとにカメラ位置などを定めたガイドラインを設けており、ホスト局はこの約束事を守ったうえで、独自性のある映像を制作している。
たとえばこの大会の100メートル走を中継する際、最大のテーマが「カール・ルイスをどう見せるか」だった。中継チームは、決勝で新たなカメラの設置を決断する。陸上では、予選から準決勝までは、選手は走り終えると立ち止まって電光掲示板を確かめる。しかし決勝では、勝った選手は歓喜のあまりそのままトラックを走っていくことが多い。細かい観察と予測のもと、中継チームは第2カーブ付近にカメラを構え、正面から優勝したルイスの歓喜の表情を撮ることに成功した。翌日、各国の放送局が集まるミーティングの場では、全員が立ち上がり、この中継に拍手したという。
それまでの国際映像では敗者を美しく描くシーンはあまりなかったが、この時の中継では、敗れた選手にスポットを当てることにもこだわった。この日本的な敗者の美学に、世界の視聴者が心を揺さぶられた。「競技以外はドラマチックに」のフィロソフィーが高く評価されたのだ。
本書を読むと、プロの制作者が、わずか数秒の本番のために膨大な時間を費やして準備していることがわかる。陸上の走り幅跳びであれば、競技場の砂の成分や産地まで調べるという。こうした努力によって、人々の記憶に残る名場面が生み出されるのだ。
現代はアップルやグーグルといったプラットフォーマーが隆盛を極めている。だがそうしたプラットフォームも、肝心のコンテンツがなければただの容れ物にすぎない。そして心を動かすコンテンツには、必ずドラマがある。
これからスポーツのビッグイベントが目白押しだ。観戦の際は本書を手元に置くことをお勧めしたい。
※週刊東洋経済 2019年6月8日号より