「あまりに面白くて一晩で一気に読み終えました。この広大なテーマでエッセイを書ける人は他にいません」。池澤夏樹・著『科学する心』の帯に書かれた吉川浩満さんの推薦文です。文学者のことばで科学を語るエッセイ集として話題になっている『科学する心』。この本の刊行記念として、三省堂書店池袋本店の主催で行われた池澤夏樹さんと吉川浩満さんの対談イベント(4月25日)の模様をダイジェストでお届けします。(HONZ編集部)
「文学少年」と「理科少年」のはざまで
池澤:今日はまず、吉川さんに御礼を言わないといけません。この本を出す前に、何かとんでもない間違いをしているんじゃないかと心配になって、ゲラをお送りして、目を通していただきました。いわば学術的な査読をお願いした。実際、あちこちにあった間違いを教えていただき、そのおかげで無事に出版できました。大変ありがたいことでした。
吉川:すごく面白くて、一晩で一気に読みました。すぐに編集の方にメールを送ったら、そのメールの内容がそのまま帯の推薦文になって、私にもちょっとばかりのお小遣いが発生した(笑)。こちらこそ、御礼を申し上げなければいけません。
本の話に入る前に、池澤さんは埼玉大学理工学部物理学科でいらっしゃいますね。大学に入る前から、物理をやりたいと思われていたんですか?
池澤:そうです。僕のなかには、「文学少年」と「理科少年」がいたんです。で、大学進学前に、どうしようかと考えた。文学は、いずれ書く側に回るにせよ、自分で本を読んでいればいい、大学で教わる必要はないなと。文学研究者になる気はなかったから。一方の理科のほうは、トレーニングが必要で、一人じゃとてもできない。じゃあ、理科に行ってみようと、そんな曖昧な根拠で理科系に行きました。
吉川:物理学科では実験もされていた?
池澤:実験は好きでした。この本の中に、物理学演習の時間に重力の測定をした話を書いていますが、こういうのは楽しかった。ただ、数学がだんだん手が届かなくなっていきましたね。で、卒業はしていないんです。聞かれると「中退」と言うことにしているんですが、正確に言うと、学費未納につき除籍です。
というのは、物理で研究者になるのは無理だと見極めをつけて、2~3年、学校に行かずに他のことをしていたんですね。しかし、宙ぶらりんもよくないと思って、学費を持って大学に行ったんです。「未納分を払って中退したい」と。そうしたら大学側に、池澤さんはこのままいけば学費未納につき除籍になりますから、そのお金はいいですと言われて。だから中退にもなっていない。
吉川:初めて聞きました。
池澤:ふつう大声で言いません(笑)。そんな僕ですが、しばらく前に、埼玉大学のフェロー(特別研究員)という資格をいただいて、入学式で講演をした。そんなこともありました。
吉川:学費未納除籍の先輩からの祝辞だったのですね(笑)。ちなみに私の池澤夏樹歴を申し上げますと、私は1972年生まれで、大学に入ったころに『スティル・ライフ』の文庫版が出ました。それが池澤作品との出会いです。そして3、4年生のころに『マシアス・ギリの失脚』の単行本が出た。背伸びしてラテンアメリカ文学にも手を伸ばしたりしているときに、ちょうど出たわけです。今回のご本を読んでいて、当時のことを懐かしく思い出しました。というのも、この本の第1章「ウミウシの失敗」に、古くからの池澤ファンにはすごく嬉しい内容が入っていますよね。
池澤:えっ? どこ??
吉川:『スティル・ライフ』に出てくる「雨崎(あめざき)」です。池澤さんが、三浦半島の地図を見ていてたまたま発見したと書かれている地名ですね。ここから「ウミウシ」を探す話へとつながっていきます。
池澤:ああ、そうか。『スティル・ライフ』で思い出すのは、1987年の2月に、カミオカンデで初めてニュートリノを検出したというニュースを新聞で読んで、ちょっとした衝撃を受けたんですね。あの小説を書こうと思ったのがその3か月後くらいで、だから書いたのが『スティル・ライフ』ですが、だから「チェレンコフ光」なんて言葉が出てくる。僕はカミオカンデの御利益で作家になれたようなものです。
吉川:ニュートリノが池澤さんを作家にしたと。
池澤:そう。この春、カミオカンデをPRする新しい施設「ひだ宇宙科学館 カミオカラボ」(岐阜県飛騨市)が出来たんです。お祝いの式典に招かれて、もちろん行ってきました。
そういう意味では、僕の本には、スタートから理系ネタがちょっと交じっている。ある時、違う種類の小説を書いたら、生意気にも娘(池澤春奈さん)が「あの人もやっと理系離れをしましたね」って(笑)。でもまたこの『科学する心』で戻ってきました。
改元直前に書いた「天皇論」
吉川:今回のご本ですが、冒頭に、こんな風に書いてあります。
<何がきっかけというわけでもないのだが、科学についての自分の考えを少し整理してみようと思った>
何がきっかけというわけでもない、と、いきなり釘を刺されていますが(笑)、私としてはやはり、どういうきっかけで書かれたのか、聞きたいわけです。
池澤:大学を辞めてからも、アマチュアの科学ファンとして、興味だけは続いていたんです。『母なる自然のおっぱい』とか『アマバルの自然誌』とか、自分でも理科っぽい本を何冊か書いてきました。僕の仕事のひとつに書評がありますから、そのためにも理科系の啓蒙書はけっこう読んできた。そういうなかで4年前に吉川さんの『理不尽な進化』を知って、これは凄いと思って、書評させてもらいました。
ただ、書評を別とすれば理系の著書はしばらく間があいていたんです。そろそろ科学全体を見渡すようなものを、その時々の関心において、まとまった文章で発表したいなと。そう思って『考える人』(新潮社)にページをもらったのが表向きのきっかけです。残念ながら途中で『考える人』は休刊になってしまった。連載中に足場を失うのはしばしばあることです。そこで『kotoba』(集英社)に頼み、続きを載せてもらうことができました。
吉川:なるほど。でも“表向き”ということは、他にも何か?
池澤:もう一つ不純な動機があってね。ミュンヘンの「ドイツ博物館」に行ってみたかったんですよ。ただ取材費を出してください、というわけにはいかないから、連載始めるからページをくださいという言い方を編集部にしたと思います。ここに行った話は第2章(「日時計と冪(べき)とプランク時代」)に書きました。偉大なるドイツをつくったテクノロジーの殿堂ですね。3か月に1回の連載だから、わりあいゆったり準備ができるんです。参考書も探せるし、最後まで楽しい仕事でした。
吉川:何からお聞きすればよいか迷うほど内容が詰まっているのですが、まず第1章、これは一種の天皇論にもなっていますね。昭和天皇も、4月30日に退位した上皇も、科学者(生物学者)としての側面をもっていたことはよく知られていますが、『科学する心』というタイトルの本を開くと最初にこの話が飛び込んでくる、というのはじつに面白いなと思いました。
池澤:昭和天皇の生物学は、世間は片手間の趣味くらいに捉えていたかもしれないけれど、実際にはそうとう本格的なものだったと思うんです。何しろ皇居に生物学御研究所をつくって、公務がないかぎり月曜と木曜の午後、土曜日はまる一日をそこで過ごしていらした。相模湾で船に乗って標本採集し、海洋生物の新種を次々に発見して論文を発表するとか、かなり手広い研究をしていたんですね。天皇であることと科学者であることは、ほぼ異なる資質です。だから天皇であることとは別に、生物学者としてきちんと評価すべきだと思いました。
ただ、天皇にはお金がある。50トンくらいの自分の船を持っている(※葉山丸は16トン、はたぐもは54トン、まつなみは84トン)。研究を手伝う人もいるし、一流の研究者と共同研究もできる。普通の研究者とは環境が全く異なるわけで、いわば帝王の科学。そして、良きアマチュアです。とにかく生物が好きだったんだろうと思いますね。
吉川:池澤さん、さきほどご自身のこともアマチュアだと仰いました。
池澤:アマチュアとは大学に属してない人ですね。たとえばダーウィンもアマチュアでしたよね。18~19世紀ころまでは、科学はだいたいアマチュアのものだった。僕はいまもその気持ちだけを受け継いでいて、僕は船を持っていないから歩いて相模湾まで行って、海洋生物採集をしようと思ったら、その日は潮が満ちていて失敗に終わったんです(「ウミウシの失敗」)。作家というのはその失敗も書いてしまうズルイ仕事(笑)。
吉川:そして、第1章に天皇家の話が書かれたこの本が、もうすぐ元号が変わるという時期に出された。発売日は4月5日ですね。
池澤:改元のことなんてあまり考えていなかったんですよ。12回連載して、ちょうどいい分量になったからこの辺で本にしようというだけで。改元で世の中がそう変わるものでないという気がしているしね。ところが、第1章に天皇が二人出てくる。昭和天皇は昭和天皇でいいのだけれど、もう一人の方は、5月になったら呼び方が変わってしまう。これは困ったなと。迷った挙句、いささか不謹慎ながら慣例に反して、裕仁さんと明仁さんにしました。皇族には苗字がないから納まりが悪いんですね。それが唯一、改元にかかわる僕の問題でした。
海部宣男さんに、この本が間に合った
吉川:内容に関して続けますと、私の印象に残った一つに「料理」の話があります(第6章「体験の物理、日常の科学」)。蕎麦とかオムレツとかローストビーフの描写に、ただならぬグルーヴ感があって、料理をこんなふうに描写できるんだと感動しました。他方で、この本には途方もないビッグ・サイエンスの話も出てきます。それが我々から遠いところにある科学だとしたら、身近にある原初的な科学が「料理」ですね。
池澤:たとえばローストビーフは、ビーフの塊に塩コショウをして、予熱したオーブンに入れる。すると外側から内側へとだんだん熱が伝わっていく。熱伝導ですね。塊の中心部分が55度くらいになったら出来上がり。それだけのこと。本にも書きましたが、もっとも単純な加熱だけの料理です。いまは素材のなかに差し込むタイプのデジタル温度計があるから、それを使えば確実です。あとはお肉を選ぶだけ。簡単でしょ?
吉川:私は料理はかなり不得手なのですが、そんなふうに説明されるとやる気が出てきます。
池澤:ただこの熱伝導、物理学そのものなんですね。料理は一事が万事、そんなお話です。
吉川:料理には熱伝導も化学反応もあって、考えたら当然なんだけど、科学なんですね。
池澤:もう一方のビッグ・サイエンスにかかわる話でいえば、海部宣男(かいふ・のりお)さんという偉大な天文学者がいらっしゃいました。電波天文学が専門で、野辺山の電波天文台や、ハワイの「すばる」望遠鏡をつくられた方です。文学にも明るく、星についてのエッセイもたくさん書かれています。いわば文学のほうへ身を乗り出した科学者だった。
吉川:池澤さん、すごく星がお好きですよね。池澤さんならではの星の見方というのがあるんだろうなと感じます。
池澤:そうですね。「たとえば星を見るとかして」と『スティル・ライフ』に書いたしね。僕は海部さんとはけっこう仲が良くて、あるとき「すばる」を見に来ませんかとお誘いをいただいて、喜んで行ったんです。標高4130メートルのマウナケア山頂にある「すばる」を海部さんは全部案内してくださって、山から降りたらヒロのご自宅で奥さんが手料理をご馳走してくださって。
去年の11月くらいに病気になられたという話が伝わってきたんです。それでずっと気を揉んでいたのですが、もしかして少しだけでも読んでいただけるかもと思い、病気療養中にもかかわらず、僕はこの本のゲラをお送りしました。で、本が出来上がった時、本も送りました。それからしばらくして、4月13日に、お亡くなりになられたんです。
ほどなく奥さんがメールで、海部が最後に読んだ本はこれだったと思います、と知らせてくださいました。感想を伝えたいんだけれども、ちょっともうその元気がなくてと申しておりました、とも書かれてあった。改元よりなにより、海部宣男さんにこの本が間に合ったというのが、僕にとってはとても大事なことでした。
吉川:この本に限らず、池澤さんの本には個性豊かな学者や研究者が登場します。
池澤:自分がなれなかったぶん、思い入れがあります。小説だと、特定の学者はモデルにしていないけれども、たとえば海部さんだったら、みたいなことはつい考えてしまいますね。
エヴィデンスによるマウンティング、あるいは反知性主義をどう超えるか
吉川:『科学する心』というタイトルもすごくいいですね。「科学」も「心」も誰しも知っている言葉なんだけれど、「科学する心」となると、「おや?」と思う。「おや?」と思う理由にはたぶん二つあって、一つは、「科学する」という動詞に「おや?」と思う。これがどこから来たかは本に書いてありますので、未読の方は、ぜひ読んでください。
で、もう一つが、「科学」と「心」が一緒になっている点です。常識的に考えれば、「科学」と「心」は同じ仲間の言葉というより……
池澤:違う箱に入っている。
吉川:はい。それが一緒になっているところが、私はすごくいいなと思ったんです。手前味噌ですが、池澤さんに書評をいただいた私の『理不尽な進化』も、同じような論理でつけました。
池澤:あれは本当にいいネーミングです。進化は、進歩じゃないし、改良でもないし、改善でもないんですよね。自然の中でいわば自動的に起こることであって、進化の大半は絶滅に至る。そこが理不尽で、筋が通らないんですよ。そういうものだということを実に明快に広い視野で書いてくださって、僕は腑に落ちたし、感心しました。
吉川:ありがとうございます。それで『科学する心』には、タイトルに象徴されるように、普通に考えると違うカテゴリーに入るような言葉を一緒にするような見方というのでしょうか、一つの物事を一面的に見るのではなく、いろんな見方、もっといえば相矛盾するような見方が示されている。これは第一に、それなりの分量がないとできないことですよね。
それから新鮮だったのは、一つのテーマに対して、扱っているタイムスパンが長いこと。私は、若干ネット中毒気味でついつい近視眼的になってしまうのですが、ご本を拝読して、時間感覚や時間の流れ方がまるで変わるような感覚を覚えました。
池澤:それは先ほど述べたように、各章を3か月に1回の連載という比較的ゆったりしたペースで書いたこともあるけれど、まあ、僕が歳だからですよ(笑)。はるか昔に読んだ本をけっこう覚えているからストックがある。いまは古本がネットの古書店で案外簡単に手に入るから、懐かしい思いで次から次へと読み直したんです。1950年、60年代くらいの本をね。
吉川:時間軸も領域も広いし、原理的な考察もなされている。池澤さんは今後もまたこうした本をお書きになるとは思うんですが、私にとっては、この本は決定版に近いと思っています。そして、もう一つお話したいのは、この本が出たタイミングです。いままさにこうした本が求められていると思うところがあるんですね。
たとえば一章をさいて、原子力発電所の事故についてきっちり書かれています(第5章「原子力、あるいは事象の一回性」)。まもなく東日本大震災から10年ですが、なんというか東京オリンピックの騒ぎといっしょに忘れ去ろうとしているような雰囲気もなきにしもあらずです。そのなかで、もう一回立ち止まって考えてみようと試みていらっしゃる。科学の重要性はこれまでもこれからも変わらないわけですが、いまはある程度のタイムスパンのなかで、広い視野で考えることが求められている時期だと思いました。
もう一つありまして、ここ2、3年、エヴィデンスやファクトの重要性が強く言われるようになりました。科学にはエヴィデンスやファクトが必須。それは当然なんですけれど、同時に――コインの裏と表のような関係かもしれませんが――エヴィデンスやファクトを権威主義的に用いる動きも目立ってきました。俗語(ネット用語)風にいえば、マウンティングに使う。エヴィデンスやファクトを出せば優位に立てる、みたいな使い方。SNSでは顕著です。
そういう状況において、一度、科学から距離を置くといいますか、いったん冷静に考える必要性を感じていたんです。この本はまさにそうした本で、いま求められている本だと感じました。
池澤:僕が読んできた多くは昔からの科学本で、いま、変わろうとしていることも少なくないけれど、科学という以上、原理は変わりません。それこそエヴィデンスがなければ科学ではない。STAP細胞の失敗がいい例だけど、追試して同じ結果が出なければダメ。それが科学の基本なのに、強引にその原理をぶち破ろうとする風潮はありますね。
ただ、これは吉川さんがおっしゃった話と、それこそコインの表と裏の関係かもしれませんが、いまは「反知性主義」の世の中でもあります。ちょっとものを知ってるからと言ってえらそうな顔をするんじゃないよ、という反撥を招く。だから僕はできるだけ穏やかに、趣味的に書きました。
吉川:先ほどから私が申し上げているタイムスケールの長さとか、冷静で多様な見方というのは、池澤さんのそういう姿勢から来るものなのかなと。失礼ながら、この本、ちょっとだけ、とぼけている部分もありますよね。ちょっと表現が難しいのですが……
池澤:うん、とぼけている(笑)。
吉川:そこがまた魅力的で。「こう考えられるけど、こうも考えられるなあ」とか「いま、これを書いたら、これを思い出した!」みたいな寄り道があるんですよね。何かに熱烈にコミットしているわけでもなく、正論を振りまわしているわけでもない。そこが読んでいてとても心地良い、不思議な本でもあります。
池澤:僕は研究者じゃないからね。海部さんとは対照的で、科学のほうへちょっと身を乗り出した文学者にすぎないから。何をテーマにしようが基本は文学で、文学者は書きながら考えていくものなんです。書き始めるときに結論はなくて、書きながらフラフラ考えて、さまよいながら、いちおうおしまいまで辿りつくと。
そのおしまいに結論があるかどうかといえば……、考える筋道を文章にできれば、そこまででいいんだというのが、僕の姿勢です。だから断言することはまずない。僕はこんなふうに考えていますけど、どうでしょうかと。この本もそんな本になりました。