著者キャスリーン・フリンと夫のマイクと待ち合わせをしたのは、読者ミーティングが開催された目黒セントラルスクエア内のスターバックスコーヒーだった。二人が私を見つけやすいように、私は窓際の席を選んで座っていた。
五分ほど経過した頃だろうか、ひときわ背の高い、恰幅の良いマイクの姿が見えた。マイクの少し後ろをキャスリーンが歩いていたが、気が急いているのか、それとも小柄な彼女が歩幅の広いマイクについて行くのに苦労しているのか、ほとんど走っているように早足だった。その上とても緊張している表情で、口元をきゅっと結び、いつもの明るい笑顔はどこかに消えていた。店の入り口近くになって、キャスリーンはよりいっそう緊張したように見えた。緊張どころか、彼女は今にも泣き出しそうな表情をしていたのだ。大きな両目にいまにも溢れんばかりに涙をためて、焦りながら店内に入って来る様子は私のいる場所からもよく見えていた。いつの間にか彼女はマイクを追い抜き、勢いよく自動ドアから店内に入ってきた。
まさか私が、入り口すぐの目立つ場所に座っているとは思っていなかったようだ。何度も私とやりとりを重ねてきたキャスリーンは、私が店内の一番目立たない場所を選んで、隠れるように座っているに違いないと確信していたのだそうだ(後日、そう教えてくれた)。私は彼女を驚かすことがないように注意しながら、静かにキャスリーンに声をかけた。
キャスリーンは、はっと息を呑んで私を見て、そして、たぶん、泣かないように必死に堪えていた。
キャスリーンは、「元気そうじゃない」と言い、そして、私の肩に手を置いた。普段の彼女だったら勢いよく抱きついてきそうなものだけれど、このときの彼女はまるで腫れものにでも触るかのように私に接した。数日前から日本に滞在していた二人は、私がしばらく体調を崩していたことを編集者から伝え聞いていたのだろう。
「大丈夫。もう元気だから」と私が答えると、今度はマイクが「安心したよ」とひと言だけ言って、注文カウンターまでコーヒーを買いに行ってしまった。キャスリーンは私から顔を背けながら目尻をぬぐい、そして、「私も注文するわ。あなた、何が欲しい? 私が買ってくるから」と努めて明るく言い、マイクを追いかけてカウンターまで足早に歩いて行った。その後、それぞれ手にしたコーヒーを飲みながら、私たちは何ごともなかったかのように大笑いし、近況を報告しあった。
キャスリーンが今回の来日で泣いたのは、このときだけではなかった。この日の後も、何度も何度も、彼女は涙を流していた。キャスリーンとは、そんな人だ。
前作『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』で料理を苦手とする女性たちの心を解きほぐしたキャスリーンは、今回の来日では自らが生徒となり、苦手である魚を克服するために、様々な経験を重ねた。
東京すしアカデミーでは寿司のプロに魚のさばき方から江戸前寿司の握り方まで、マンツーマンの指導を受けた。閉場を数日後に控え、張り詰めたような緊張感漂う築地市場では、元競り人から日本の魚文化とその流通を徹底的に学んだ。日本の家庭料理を経験したいと願うキャスリーンを自宅に招いた読者は、手作りの魚料理で彼女を温かくもてなした。そこで彼女が目撃したのは、日本文化と魚との深い関わり合い、そして食卓を共に囲むことで得られる、この上ない幸せだった。様々な経験を積んだキャスリーンが、そのすべてをアメリカに持ち帰り、そして一人で向かったのは亡き父との思い出が詰まった波止場。その思い出の波止場で、彼女が導き出した人生の答えは、私たちにも多くの学びを与えてくれるはずだ。
大好きな日本と和食への彼女の熱い思いが、ぎっしりと詰まった本書を訳す機会を得た幸運に感謝している。彼女を料理人として、ジャーナリストとして、そして一人の生徒として温かく迎え入れてくれたみなさん、彼女にインスピレーションを与え続けてくれた読者のみなさんに心から感謝したい。そして、キャスリーンという類い希な料理家の「人生に、勇敢であれ」というメッセージが、多くの人に伝わることを願っている。
村井 理子