「爆買いから爆セックスへ」。手に取るのを敬遠してしまいそうな帯だが、先日、『八九六四』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した書き手の作品と聞けば買いの一手だ。とはいえ、「爆セックス」が受賞後第一作とは幸なのか不幸なのか。
「はじめに」で著者が指摘するように、カネや食のように人間の欲望を反映する営みで社会を読み解くのは非常に有効である。エロも然りである。いや、むしろ、エロこそが欲望の塊である。中国の場合、その塊が14億人からなるとなればなおさらだろう。
中国では長らく一人っ子政策など生殖への支配が続いた歴史もあり、性にオープンな印象は薄いが、ここ10年ほどでめまぐるしく変わってきたという。2000年代中頃までは、世界でも性満足度が日本を下回り、世界でワーストだったが今やセックスの頻度が平均で週1.2回、2回以上が3割を超えるとか。1ヶ月間以上性行為がないセックスレスの割合は未婚者も含めて7%。単純比較はできないが日本の30代男女が3割前後というから、日本で草食系がはびこる間に、GDP(国内総生産)と同じくこちらも瞬く間に抜き去られたのである。
急速の変化を成し遂げた要因はひとつではないが、ITの発達に伴う情報収集や伝達の容易化が大きいという。米中貿易摩擦という名の技術覇権争いが収束の気配を見せないように、いまや中国はテクノロジー大国に膨張しているのだ。
それは「エロ」を享受する人々だけでなく供給する側にも無縁でないから興味深い。例えば、ラブドール。かつてはダッチワイフと呼ばれた品だ。日本への留学時に中国への転売で稼いでいた学生が、需要に目を付け、帰国後に創業。単なるラブドールの生産にとどまらず、最近では現地の先端のAI研究の知見をいかしながら、ヒト型ロボットの開発も進めているというから驚く。著者によるとすでに、ソフトバンクのペッパーくらいの応対は今でもできるらしい。好みの問題だろうが、ペッパーよりも美少女アンドロイドに応対して貰いたいと思うのは私だけではあるまい。
中国人が性文化に目覚めたとはいえ、何もかもが許容されるわけではない。習近平体制になり、長らく黙認されていた売春や夜ごとの狂宴は一部の大都市では徹底的に壊滅された。それまでは、日本でいうキャバクラのようなところでは、女性の肛門に火の付いたタバコを刺し「ホタル」と呼んで楽しんだり、男性の尿をカクテルに入れて女性に呑ませたり、「どん引き」するような行為が日常だったという。
これが20世紀の話でなく、2010年代半ばの出来事なので驚愕するが、著者も指摘しているように、日本でも女体盛りを始め似たような悪趣味な遊びが存在していたことを忘れてはいけない。急激に社会が変化する中国ではこうした歪みはあらゆるところで散見されやすいのだろう。LGBTについても1章を割いているが、2015年頃までは電気ショックで「治療」を目指す病院が存在したというから腰を抜かしたが。
中国共産党にとっては、急速な経済成長をいかに軟着陸させるかが最大の課題で、本音と建て前をうまく使い分けながら舵取りをしてきたことは周知の通りだ。そして、経済発展とともに膨張する「エロ」、人間の根源的な欲望についてもいまだに完全に支配下に置こうとしていることを本書は炙り出している。14億人の人々の根源的な欲望にいかに臨むのか。将来への期待を膨らませ、はたまた股間をも膨らませる人々をコントロール可能なのか。関心は尽きない。
第50回「大宅壮一ノンフィクション賞」受賞