『ネオナチの少女』ドイツに根づくナチズムという悪夢
本書の題名は『ネオナチの少女』となっているが、著者のハイディ・ベネケンシュタインは自らを「ネオナチ」とは定義していない。「ネオナチの人々とは、思想も生い立ちもまったく違う」と言い切る。彼女はかつての自分を「ナチそのもの」だと定義する。
現代の若い女性が「ナチ」を名乗るのは少し奇異に感じるが、本書を読み進めるとすぐに合点がいく。
彼女の祖母はヒトラーユーゲントの女子部門であるドイツ少女団の出身で現在もナチ信奉者。父は公務員で自信に満ちあふれカリスマ性を持つ男だが、やはりナチの信奉者だ。著者は幼少時よりナチズムの教育を受けて育った。
その徹底ぶりはすさまじく、敵性語として英語の使用が禁止されていたほどだ。さらに幼少の頃から、ヒトラーユーゲントの正統な後継団体であるドイツ愛国青年団で、準軍事教育や思想教育を叩き込まれた。
ドイツ愛国青年団のキャンプに参加する子弟のほとんどが医者や弁護士など中流階級以上の出身者で、労働者階級出身の子どもは皆無だった。彼らはナチが再び台頭した際、「第四帝国」を担うエリートになるべく教育されているという。ドイツの極右は高度に組織化されているのだ。
日本では戦後のドイツは過去と向き合い、負の歴史を清算してきたイメージが強い。実際、日本が歴史認識で周辺国ともめるたび、ドイツを見習えと繰り返されてきた。その国のエリートの間で、今でもナチ思想が受け継がれていることに驚きを禁じ得ない。
しかし、移民問題に端を発する最近のドイツの右傾化は、その裾野にいる人々こそ労働者階級だが、彼らを組織化し、右翼政党の躍進に結びつけたのは、ドイツ愛国青年団などに参加していたナチのエリートなのかもしれない。
実は本書では、その辺がはっきりと示されていない。というのも、思春期を迎えた頃から、著者は社会的エリートの道から外れたからだ。
ハイディは父権的性格を強く体現する父とうまく折り合えず、義務教育を終えた時点でドロップアウト。定職にも就かず、ネオナチの過激派組織に身を置いた。
そこは組織化されたナチエリートの世界とは地続きながらまったく違う世界だった。社会に対するルサンチマンを暴力で発散するチンピラ集団だったのだ。そこで彼女はデモ、喧嘩、酒、貧困にまみれた思春期を過ごした。
本書で印象的なのは、ハイディにナチへの信頼の揺らぎが幾度か訪れること。また彼女が立ち止まり、考え直そうとするごとに、カルト的性格を帯びたネオナチが極右組織に連れ戻そうとすることだ。
いったんネオナチのグループに参加してしまえば、それまでの人間関係は壊れ、周りのすべてがネオナチの人間になる。そして、社会からはののしりの言葉を浴びせられる。社会に適応できなかった若者たちは、より強固にネオナチの人間関係に依存するようになり、その過程で先鋭化していくのだ。
ハイディは妊娠を機にネオナチから抜ける決意をした。裏切り者を許さない、閉鎖された世界からの脱出は危険に満ちていた。だが次世代に対する責任感が彼女に力を与えたのだ。
※週刊東洋経済 2019年5月11日号より転載