最初に言っておく。この本は「閲覧注意」である。タイトルそのまま、本当にそのままなのだ。
1961年11月20日、マイケル・ロックフェラーはニューギニア南部で消息を絶った。
この地を訪れていた23歳の若者の父親は、ニューヨーク知事で後に副大統領となるのネルソン・ロックフェラー。地球で一番の金持ちで、スタンダード・オイルの創設者ジョン・D・ロックフェラーの孫だ。父親がマンハッタンの五番街そばに開館した「プリミティブ・アート博物館」に展示するコレクションの収集のため、未開の地の美術品を買い付けに来ていたさなかのことだった。
マイケルに同行していたオランダ人人類学者のルネと目的地へボートで移動中、エンジンが故障し漂流した。案内人の現地人が泳いで助けを求めに行った後、しびれを切らしたマイケルは白いブリーフ姿になり、空のガソリン缶を浮き輪替わりに、かすかに見える陸地へ泳ぎだした。水泳には自信があったし、何より若く、金があり、ニューギニアの旅行中、困ったことはひとつもなかったという全能感にあふれていた。ルネが見たのはここまでだ。そしてその後、マイケルは姿を消した。
彼が集めていたのは首狩り族と噂されるアスマットと呼ばれる人々のもの。生活用品から聖なる儀式に使われる柱まで買いあさっていた。同行したオランダ人研究者や宣教師たちは苦々しく思っても、ロックフェラーの御曹司に何か言える者はいなかった。
マイケルはどうなったのか。本書の第二章、読み始めてわずか13ページでそれは明かされる。ようやく岸にたどり着いたマイケルを待っていたのは、50人ものアスマットの男たちだった。
そして彼は喰われた。
微に入り細を穿つこの描写は、片目で読み飛ばしたい気持ちにさせる。しかし本書を読み終わった後、もういちどこの章を読まずにはいられなくなる。
ロックフェラー家ではマイケルの行方不明を海難事故とした。溺れて流されたか、あるいはサメに食われたか。だが事の詳細は、当時オランダ領だった現地に派遣されていた宣教師たちによって調査され、報告されていたのだ。世界中で噂は流れていた。マイケルは喰われた。
著者のカール・ホフマンは事件から約50年後にこの地を訪れる。「ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー」の編集者で多くの旅行記を著しているジャーナリストだ。マイケルの失踪は多くの人たちの興味をかきたて、オフ・ブロードウェイで演じられ、小説にもなり、ロックの歌にもなっている。ホフマンもまた彼の失踪の真実を知りたいと願った。
マイケルは現地の写真を多く残していた。直後に失踪するとは思えないほど、彼の顔は自信に満ちている。ホフマンは、オランダ植民地時代の資料やオランダ人宣教師の日記を読み込み、現地に飛んだ。
マイケル失踪の裏には、彼がニューギニアを訪れる前に起こったある事件が関係していた。部族間闘争、植民地支配、虐げられた記憶。それは決して表に出ることなく、アスマットの人々の心の中に妄執のように残っていた。
「プリミティブ・アート」と呼ぶのは先進国の人だけだ。現地では、芸術品などという意識はない。生きるために欠かせない生活の一部である。異文化を理解するための努力はお金で購えるような並大抵の努力では叶わない。マイケルはそれを怠った上に、彼らの風習はもう無くなったものだと信じた。首狩りなど二十世紀にあるわけがない。それは驕りだったのだ。
本書は「1950年代から60年代半ば」と「現代」とが交互に記されている。当時の記録はホフマンが詳細に調べたことを元にしており、現代はホフマンの体験記だ。50年の時を超え、オランダの植民地からインドネシア領となり、生活もかなり文化的になった。
アスマットの人々はマイケルのことを覚えていた。しかしホフマンが慎重に話を聞こうとしても、誰も口を割らない。それだけではない。口裏を合わせるように嘘で塗り固め、言い繕おうとする。通訳がそれとなく話を向けても逸らされる。
ホフマンは疑問を持ち始める。本当にマイケルは殺されて食べられてしまったのか?
圧巻は第三部。矛盾する謎を抱えホフマンは覚悟を決める。通訳をつけず一人でアスマットの村に滞在することにしたのだ。アメリカでインドネシア語を習い、1か月間、マイケルを殺したと目される男の息子の家に住み、男たちの風習を見、女たちの役目を知り、子供と遊び、長老と話す。彼は知りたかった。なぜマイケルは殺され、食べられてしまったのか。
読みながら、何度もため息をつく。様々な冒険者たちの末期を思う。山で遭難した者、海の藻屑と消えた者、何も手掛かりのないまま行方不明とされた者。マイケルが大富豪の御曹司であり、当時の政情もあって、莫大な費用をかけて多くの人が彼を捜索した。しかし50年間、その秘密は守られてきた。
本書は、人間が人間であることの不思議さを、カニバリズムという強烈なリアリティによって迫ってくる。衝撃的な読書体験であった。
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ニューギニアから生還してくれてよかった。レビューはこちらとこちら
これもまた強烈な異文化体験記。